「俳句スクエア集」2024年 4月号鑑賞

                   

                         加藤直克





三月十一日傾き癖の墨を磨る        石母田星人


 東日本大震災から13年が過ぎた今年。その消えようのない記憶は被災地に住む人々だけのものではない。とはいえ現地に暮らす人の身に刻まれた記憶は象徴的に身体の傾ぎとして、たとえば摺る墨の傾きとして現れてしまう。墨をする行為はその傾いだままの身体という記憶の現在地を俳句という形で確かめるためなのであろう。




花吹雪出家の僧に降りしきる        朝吹英和


 散りゆく桜の最後の輝きが花吹雪であるとすれば、娑婆を離れる出家僧の青く剃った頭こそそれにふさわしい。『禅関策進』の「古人刻苦光明必盛大也」の句が思い浮かぶ。出家は確かに悟りを求めての「己事究明」ではあるが、決して自分のためなのではないということに気づいたとき、花吹雪はそのまま大悲の発露として一体になれるのであろう。




くるぶしに蛇の刺青日永かな        松本龍子


 「刺青」といえば女の素足のフェテシズムを描いた谷崎潤一郎の初期の作品を思い出す。駕籠からのぞいた足に一目惚れした彫物師の清吉が一世一代の蜘蛛の絵をその娘の背中に彫り上げるという話で、映画化もされたと思う。しかしフェテシズムの直接の対象はやはり皮膚の美しさであって、足と言ってもくるぶしにそれを求めることはできないように思う。くるぶしはそこにあらためて目を向けることもまれな身体の異界であり、蛇はそれを象徴しているのかもしれない。


 


み社や白々揺れて夕桜           大津留直


 夕桜の景色に白を詠みこんでいるところに惹かれた。最近は夜間のライトアップも盛んで、夜桜も白く見えることもあるのだろうが、夕桜はやはり落日の色に染まると思えるからである。掲句では「み社」がそこに呼応して敢えて「白々揺れて」となった。すなわち白は魂の浄化として詠まれているのであろう。




青饅や鬱王に会う橋の上          眞矢ひろみ


 鬱王とはなにか。調べてみると赤尾兜子(とうし)という俳人(岸本尚毅の師匠)の「大雷雨鬱王と会うあさの夢」という句に出会った。作者はこの句を念頭に置いているのではないか。鬱王とは鬱(うつ)症状の象徴的表現であろう。そこに「青饅(あおぬた)」の生々しさとぬめりが不思議に呼応している。「橋の上」は日常の場所であると同時に人生の危うさをも暗示している。




汐汲みの須磨の漣春めけり         和久井幹雄


 おそらく長唄「汐汲」を題材にしているのであろう。これはさらに「松風」という能楽に基づいている。在原業平の兄、行平が天皇の怒りに触れて須磨に流されていたときに、海岸で汐汲みに来ていた「もしほ」と「こふじ」という村娘に出会い情を通じるが、やがて赦されて去って行くが、そのときに残した歌が百人一首にある「立ち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かばいま帰り来む」であるという。須磨と言えば源氏と明石の君との出会いもあるが、これも行平の故事が念頭にあったともいわれる。いろいろと想像を掻き立てられる句である。




霾や利久白茶の前頭葉            岩永靜代


 霾(つちふる)は春の季語。天気予報で黄砂の注意報が出ることがあるが、まさにそれである。利休白茶は薄い灰味がかった黄褐色で、茶色ではなく灰色に分類されるらしい。そういえば利休鼠も「城ヶ島の雨」の歌詞に出てくるが、もっと灰色が濃いのであろう。掲句はそれが前頭葉に結びつけられる。脳細胞の集まった部分は灰白質と呼ばれるので色の連想なのであろう。霾と利休白茶と前頭葉には灰色以外に関連がないが、むしろそのバラバラの印象から生じる物憂い不透明な感じが春ということなのかもしれない。




ミモザ咲き寝る前に湯を沸かす母        石川順一


 ミモザはアカシアの一種なのだということをつい最近認識した。ミモザはなぜか中年女性のイメージがある。宇都宮の女声合唱団に「ミモザ」があり、そこに所属している奥様を何人か知っているからかもしれない。ところで寝る前に湯を沸かすのはなぜか。もちろんお風呂のこともあるだろうが、わたしは勝手に「白湯」を呑むためではないかと思う。とくに寒い季節は体が温まってよく眠れるという。息子の母親に対する暖かな眼差しにほっこりした。




鯱の飛び跳ねてをり花の波          五島高資


 申し訳ないが「甍の波と雲の波」という「こいのぼり」の歌を思い出してしまった。まさに「花の波」の遙か上にそびえる天守閣。金のとまではいかなくても鯱(しゃちほこ)の勇姿が目に浮かぶ。「飛び跳ねてをり」はやや諧謔味を含んでいるが、元気なことこの上ない。心躍る句である。





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  「俳句スクエア集」2024年  4月号 好句選

                   

                         五島高資




  三月十一日傾き癖の墨を磨る        石母田星人


  花吹雪出家の僧に降りしきる        朝吹英和


  くるぶしに蛇の刺青日永かな        松本龍子


  春暁や青の洞門掘りやまず         加藤直克


  鳥居より一気に海へ初燕          大津留直


  春爛漫旗日に鵙の良く鳴けり        今井みさを


  青饅や鬱王に会う橋の上          眞矢ひろみ


  がらんどうの蔵に風吹く安吾の忌      和久井幹雄


  生まれ死ぬ紙風船みたいに         福本啓介


  陽炎の縺れて狂ふ水平器          岩永靜代


  ぶんらんこの左手空を平手打ち       児玉硝子


  ミモザ咲き寝る前に湯を沸かす母      石川順一


  春の宵スタンプだけでする会話       生田亜々子


  猫好きと語りし人よ忘れ雪         於保淳子


  旅立ちの零番ホーム初桜          島田淳平


  死は遠い夢のつづきやきんぽうげ      干野風来子


  靴の先踏みし菫の色付けて         赤塚康二


  とりどり摘み春らんまんの供華となる    石田桃江





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