「俳句スクエア集」2024年 3月号鑑賞

                   

                         加藤直克






 早春や扉がひとつ開いてゐる        石母田星人


 「早春」は希望と解放とともに、ぶり返す冬の厳しさがより身にしみて感じられるアンビバレントな言葉である。掲句では開いている「扉がひとつ」ということで、そこに希望の光を見るとともに、いやまだ一つしか開いていないので用心しなければいけないという二重のニュアンスが感じられる。でも早春はたしかにそこにある。私たちの祈りもそこにある。



 藪からの棒を跳び越す猫の恋        朝吹英和


 猫の恋というとどこかかわいらしい感じがするが、どうして盛りのついた猫の猛り狂った声にはすごみがある。たしかに私たちも若い頃はそれに輪を掛けて猛り狂った時代もあった?掲句の「藪からの棒」は「藪から棒」ではないところが面白い。不意を突かれるから「藪から棒」なのだが、「藪からの棒」というとそんなものも眼中にないという感じが伝わってくる。つまり猫以外の邪魔者など入る余地はないということであろう。



 受験期のわれは魚なき水槽に        松本龍子


 難解な句である。「魚なき水槽」は結局自分ひとりがいるべきではないところに閉じ込められているというか。受験期から解放されれば水槽から出られるというふうにも読めるが。たしかに新たに友達を得て孤独ではなくなるかもしれないが、より大きな水槽の中で泳いでいる、あるいは泳がされているだけなのかもしれない。そんな昔の自分といま若者を一つの視野に収めているのかもしれない。



春の雲折り目正しい調律師         児玉硝子


 調律師は几帳面でなければ務まらない。とりわけ演奏会場では数時間後の気温、湿度、聴衆の入りを考えて、その時間に演奏家の望むような調律に調整するということを聴いたことがある。掲句では形も色も定まらない「春の雲」を上五に配することで、その演目がドビュッシーのピアノ曲であっても、その美しさは調律の折り目正しさが生み出すことを暗示している。



春立つや活版の字に差す光         生田亜々子


 活版印刷の文字は厚手の紙面に深く刻まれていて独特の威厳と強さを感じさせる。そこに差す春の光は溝の中の字を浮き出たせることで生命感を醸し出すものであるのだろう。春立つの「立つ」が印字が紙面から浮き「立つ」感じを匂わせていて印象深い。



淡雪を受くる唇尖がらせて         松尾紘子


 唇を尖らせるというと不満を表明しているのかと思うが、ここでは口づけを想像するのが自然だろう。淡雪ということで相手との関係を象徴的に表現しているのだろうが、すぐに消える儚い交歓ということか。とするとやはりどこか意に沿わない不満というか心許なさも表現されているような気がする。まさに早春の光景なのだろう。



ほんたうは風の苦手な風信子        干野風来子


 風信子はヒヤシンスのこと。もともとギリシア神話に見えるヒュアキントスという美少年で、太陽神アポロンに愛された。あるときアポロンの投げた円盤がヒュアキントスの頭に当たり死んでしまった。アポロンはその死を悼んでヒヤシンスの花に変えたという。しかし異説があり、西風ゼピュロスが二人の関係を嫉妬して風で円盤の方向を変えてヒュアキントスに当たるようにしたというもの。そこまで読み込むと掲句の言わんとすることが分かる気がする。風信子という漢字表現については、ヒヤが「風」でシンが「信」の当て字かとも思うが、詳しいことは分からない。



早春の草こそ抜くもいたいたし       石田桃江


 早春の庭か畑で草を抜いている光景。もっと大きくなったら抜けばいいなどと素人は思うが、農家にはいまだからこそ抜いておくという常識があるのだろう。とはいえその草は冬の厳しさを耐え抜いた命の証でもある。その思いは抜く人の意識に通じるのであろう。それゆえ「いたいたし」である。ここに都会に住むものには分からない命の交歓がある。



初凪や鏡の裏を散歩する          五島高資


 初凪は元日のご来光、天照大御神を拝むための舞台とも言える。天照大御神を象徴するものは三種の神器のひとつ、八咫鏡である。その「鏡の裏」とは何か。あえて言えば天照大神の眼差しそのもの、その意識のことであると思う。その意識をうんぬんするなどあまりに畏れ多いとも言えるが、昨今注目を集めている「中今(なかいま)」はそれであるように思われる。とはいえもちろん単なる私の意識、いわゆる主観ではない。むしろ私がかろうじて私であり得る根底にある意識であろう。というと仏教の末那識や阿頼耶識などが出てきてしまうのでこれ以上は詮索しないが、まさに神道が神道であり得る、あるいは日本人が縄文時代から培ってきた「いのち」の根底にあるものとあえて言っておきたい。それが「散歩」しているところが、まさに俳句の俳句たる所以であるのだろう。






******************************************************************************************************************************************************************************************************************************


 


  「俳句スクエア集」2024年  3月号 好句選

                   

                         五島高資




  早春や扉がひとつ開いてゐる        石母田星人


  春雷を遠くに恋の芽生えかな        朝吹英和


  たましひに匂ひをつける彼岸桜       松本龍子


  斑雪気づけば友の遠さかな         加藤直克


  磨崖仏修復するやつばくらめ        大津留直


  山焼くや天を支ゆる大狼煙         今井みさを


  逆光に己が身失くす猫柳          眞矢ひろみ


  天窓にわた雲の見え武満忌         和久井幹雄


  ミモザ咲きチョークの黄色はにかみぬ    福本啓介


  俳句一生決意の老いに揺らぎがち      十河智


  朧夜や電波時計の逆回り          岩永靜代


  立春大吉ころころと句をころがして     児玉硝子


  マーガリン・チョコレート買い梅白し    石川順一


  春立つや活版の字に差す光         生田亜々子


  春雪の重さよ街の眩しさ          於保淳子


  春月やをとこのようなピアスして      島田淳平


  熟睡児の産毛さ揺らぎ風光る        赤塚康二


  淡雪を受くる唇尖がらせて         松尾紘子


  ほんたうは風の苦手な風信子        干野風来子


  鳥群れず赤い実褪せて二月尽        石田桃江








******************************************************************************************************************************************************************************************************************************

 


 


  


               「俳句スクエア」トップページ


             Copyright (C) Takatoshi Gotoh 1998.3.1