「俳句スクエア集」2024年 2月号鑑賞 Ⅰ

                   

                         加藤直克






雪霏霏と別の宇宙に来てをりぬ      石母田星人


 普段あまり雪の降らない地域に住んでいると降雪はまさに非日常の出来事である。昨日までの見慣れた景色、町のたたずまいが魔法に掛けられたように別世界と化す。その中心にあるものが雪の白さ、手触りであり、降雪の様子である。掲句では雪に加えて「霏霏」という漢字の、特に雨冠の重なりがその別世界性を余すところなく表現している。しかし普段から雪の降る地域に住んでいる人にとってはどうだろうか。雪の降る様子はあまりにも日常的で、生活のすべてを覆っているかもしれない。しかしそこに「非」を含む雨冠の「霏霏と」を置くことで日常の深奥を切り開く「別の宇宙」が現れるのかもしれない。



面打ちの音打ち破る寒の底        朝吹英和


 掲句の眼目は「面打ちの音」つまり上七で切れるということであろう。もちろんその音が寒の底を打ち破るのであるが、そこには冷気の厳しさが厳しいままに割れてその底が露出するという感覚がある。音は寒の底にあるものを惹起するのである。それは何か。その音そのものに込められた魂、精神性ではないだろうか。



足音を聞き分けてゐる春の雨        松本龍子


 春の雨が静かに降っている。そこに自分の足音が混じって一つの世界を作っている。その一つの世界には雨の音と足音を区別するものはない。まさに主客一如、純粋経験の世界である。しかしそこからさらに一歩を踏み込むと自分の足音の中に込められている心のありようが、自分がたどってきた人生のすべてを湛えながら今ここに聴かれるのである。それを聞き分けているのはやはり春の雨と言わざるをえない。このとき春の雨は「汝」と呼びかけるべき二人称、すなわち友となる。



地より湧く念力とてや寒卵         大津留直


 法華経の涌出品において、仏法の途絶えた末法の世において衆生のすがるべき仏はあるかとの問いに釈尊は、数限りない菩薩が大地より湧き出るから安心しなさいと答えた。これを地涌(じゆ)の菩薩という。そして同じく法華経の観世音菩薩普門品(いわゆる観音経)において繰り返し唱えられる「念彼観音力」はまさに地涌の菩薩を呼び起こす「念力」と捉えることができよう。それゆえ掲句の「寒卵」はまさに仏の大悲の象徴と捉えることができる。寒卵は能登半島の被災者に届いているだろうか。



大寒の軒下に置く灯油缶          十河智


 寒い地域では家の軒下にボイラーを設置してそこに灯油缶がおいてあるような図を見たような気がする。とくに大寒という季節は、灯油が命綱という人もいるだろう。筆者は灯油缶を屋外に置いたことはないので、あえてそのような光景を想像してみた。すると作者の身体性がその家の外にまで表現されているような気がして、そこに俳味を感じた。



きしきしと骨細胞の哭く霜夜        岩永靜代


 骨組織は骨を作り出す骨芽細胞と破壊する破骨細胞の均衡においてその形を維持しているという。しかし人の老いとともに破骨細胞のはたらきが骨芽細胞を凌駕して骨粗鬆症が進行するともいう。まさに骨身にしみる霜夜には骨細胞のきしみが感じられる気がする。



手の内の鯛焼尾から冷えてゆく       生田亜々子


 焼きたての鯛焼きはそのまま手を温めるカイロの代わりにもなる。そのぬくもりは鯛焼きと命の交流があるかのよう。しかし手の内をはみ出る尾っぽの部分は早く冷えていく。だから早く食べてあげなくては。まだかすかに温もりのある尻尾から。



ひとりゐのプラットホーム春の雪      島田淳平


 一読、イルカの歌う「なごり雪」の情景が浮かんだ。作詞・作曲は元かぐや姫のメンバーだった伊勢正三。筆者もカラオケで歌ったことがあるが、出だしの「記者を待つ君の横で」の入りが難しい。そして最後の「君が去ったホームに残り落ちては溶ける雪を見ていた」の寂寞感。ともあれ作者のイメージを曲げるような鑑賞になってしまっていたら謝ります。個人的に心に残る句である。



淡雪の降り積む枝の先は紅         赤塚康二


 淡雪の白と枝先の紅の対比に目を引かれる。それは色の対比に止まらず、淡雪の冷たさと紅の命の温もりにも及ぶ。この紅はおそらくは紅梅なのだろうが、枝先の芽の色なのかもしれない。季重なりを微妙に交わしつつ紅を象徴的に印象づけているところに惹かれた。



遺されて冬三日月のゆれ止まぬ       五島高資


 能登の被災地の上にたたずむ三日月。それは13年前の東日本大震災の時の月と同じである。そこには人の世のあらゆる思いが届かぬ非情の世界がある。しかし非情は無情ではない。無情は人の心情の現れだから。むしろ無情の思いを突き破ったところに非情がある。肉親を、友人を、大切な人を失った悲しみは一時の心情というには止まらない。その悲しみは非情の世界にまで及ぶ。いやむしろ非情の世界そのものから悲しみはやってくる。そのとき冬三日月は揺れて揺れて揺れやまぬのである。





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  「俳句スクエア集」2024年 2月号鑑賞 Ⅱ

                   

                         和久井幹雄




全天の螺子を締めたる初明り         石母田星人


 「全天の螺子」は空全体に対する心象であろう。鳥を始めとする空を飛ぶ生きとし生けるもの、大気や雲のようなアトモスフィア的なもの、それら全てのものが、元朝の東の空から差してくる「初明り」によって箍(たが)を締め直され、新年が始まろうと云う壮大な気宇に溢れた句である。



面打ちの音打ち破る寒の底          朝吹英和


 能面は「彫る」と云わずに「打つ」という。面打ちで思い出すのは、岡本綺堂の修禅寺物語に出てくる名人気質の主人公、夜叉王である。二代将軍頼家の面作りを依頼されたが、中々思ったとおりの面が打てないで、半年以上も献上出来ないという面打ちの厳しさを知ることが出来る。鑿と槌の面作りの裂帛の音が「寒の底」を打ち破るという比喩は大いに得心するものがある。



早春のページめくれば活字消ゆ        加藤直克


 一読、早春賦の「春は名のみの風の寒さや 谷の鶯歌は思へど 時にあらずと声も立てず・・・」を想起した。「早春」は実際にはまだ寒く、暦の上の観念や気配として感じることが多いようである。早春賦では、鶯が鳴こうとするが声を立てないという分かりやすい譬えを挙げている。掲句の場合、下五に「活字消ゆ」という難解な措辞を使っているが何かの暗喩と思われる。筆者には「活字」は「散文」の譬えではないかと思われた。つまり作者が、早春の気配の中でページをめくった刹那、「散文」が消え失せ、「韻文」が忽然と姿を現して来たのであろう。



人日や糸まつすぐに針の穴          岩永靜代


 「人日」は、一般に七草粥を食する日となっているが、本来は漢の時代にこの日に人を占ったことに起因しているようである。現在において「人日」はかなり抽象的な季語になっているが、中七・下五との取り合わせはどうだろうか。「糸まっすぐに針の穴」は景のよく見える気持ちのよい措辞であり、何か一年が無事に過ごせるようにようにと云う比喩のように思える。



男体山眠る孝明天皇祭         五島高資


 「男体山眠る」で一旦切れるのであろう。日光の名山である雪に覆われた男体山を眺めたときの句と思われる。「孝明天皇祭」は1月30日に宮中祭祀の一つとして皇居と御陵のある泉涌寺にて祭典が行われるようである。孝明天皇は攘夷派で諸説あるようであるが、男体山や栃木県とは特に関係が無いように思える。奇しくも作者が男体山を眺めた日が1月30日であり、宮中祭祀に詳しい作者が「孝明天皇祭」と取り合わせたものと思われる。かつては女人禁制の信仰の山であった男体山の「山眠る」の本意を考えると「孝明天皇祭」の抑えは、絶妙に利いているように思える。








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  「俳句スクエア集」2024年  2月号 好句選

                   

                         五島高資




  全天の螺子を締めたる初明り        石母田星人


  面打ちの音打ち破る寒の底         朝吹英和


  足音を聞き分けてゐる春の雨        松本龍子


  蝋梅の花びら空に透きとほる        加藤直克


  地より湧く念力とてや寒卵         大津留直


  海坂に船の行き交ふ去年今年        今井みさを


  俳句一生決意の老いに揺らぎがち      十河智


  人日や糸まつすぐに針の穴         岩永靜代


  モンゴルの鍋留学生の瞳          児玉硝子


  水仙の花瓶に入れば扉向き         石川順一


  早寝して早起き出来ぬ冬の朝        生田亜々子


  寒風や大観覧車煌めけり          於保淳子


  逝く春や一人乗りたる観覧車        島田淳平


  息白しささやき声もため息も        帆万歩


  友集ひ注連縄の紙垂一つ舞ふ        中川洋子


  淡雪の降り積む枝の先は紅         赤塚康二


  まじなひのやうに作るや雪兎        干野風来子







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