「俳句スクエア集」2024年 1月号鑑賞 Ⅰ

                   

                         加藤直克






縛地蔵ほどいてをりぬ冬銀河        石母田星人


 縛地蔵は諸願成就、難病平癒の霊験があるとされる地蔵像で、東京葛飾区の南蔵院に収められている。願い事を掛けるときは縄で地蔵を縛り、それが成就したときはその縄をほどく習わしから縛られ地蔵ともいう。そして毎年の大晦日には縛地蔵の縄解きの供養が行われる。掲句はこの行事を念頭に置きながら、しずかにめぐる冬銀河がその縄をほどいていると詠み、ミクロコスモスの人とマクロコスモスの宇宙の一体性を現出させている。



フルートの余韻吸ひ込む寒月光       朝吹英和


 木管楽器はさまざまな風景や光景に溶け込みつつ同時にそれを記憶の中から喚起させる力がある。フルートの音色はとりわけその空気感から広々とした景色によくマッチするように思われる。掲句では寒月光がその音色を吸い込み、いわばフルートの色に染まって光を投げかけていると詠っている。それではどんな曲が思い浮かぶだろうか。ドップラーのハンガリー田園幻想曲などはどうだろうか。



祈る手の軽くなりたる初明り        松本龍子


 祈りは人間を超えたものとの交わりである。それはわれわれの手の届かない夢や希望を確かめつつ、その実現を願うという形を取ることが多い。しかし神社に参拝する際には、あれこれ願い事を申し立てるのはよくないということを聞いたことがある。むしろ心を清らかにして感謝を献げるだけでよいということである。確かにあまりに欲にまみれた重たい願い事は神前にはふさわしくない気がする。掲句の「祈る手の軽くなりたる」は欲をはなれた祈りの清明さを象徴しており、「初明り」にふさわしい。



サトちゃんのお鼻の欠けて年つまる      今井みさを


 サトちゃんは佐藤製薬のゾウを模したマスコットキャラクターで、よく薬局の前に置いてある。今では人気のキャラクターグッズとしてサトコちゃんと一緒に販売されている。その象の鼻が欠けていて、ちょっと痛々しいが、コロナとインフルエンザが同時流行している昨今、鼻づまりに悩む人も多いに違いない。その鼻の不具合と年の瀬が押し詰まるを欠けているのであろう。ちょっとクスリとくる句である。



冬座敷微塵となりて集いける       眞矢ひろみ


 角川歳時記の冬座敷の項を見ると「日の筋に微塵浮かすや冬座敷 小杉余子」が載っている。掲句は「微塵となりて集いける」とあるが「何が」もしくは「誰が」が分からない。つまりあらゆるものが「微塵」になり得るのである。その「集い」が偶然のものか、集うべき理由があるのかも分からない。ただすべてを「微塵」として観想する眼差しは静かであるに違いない。そのような眼差しとは観世音菩薩のそれではないだろうか。



純正に立ちはだかられて外寒し      石川順一


 純正ということで何を思い浮かべるだろうか。まず浮かぶのがヴァイオリンなどの調律で使われる純正律である。それ以外だと、プリンターの交換インクなどの純正品である。掲句における純正が何を指すかは分からない。しかしそれは建物や何かの入り口で、中に侵入させまいとして立ちはだかっているのである。カフカの『門』という短編も浮かんでくるが、こういう経験は苦手だなと素朴に共感する。まさに唇寒しならぬ「外寒し」である。



舟唄を唄ふ女逝く寒の月         干野風来子


 昨年12月30日に八代亜紀さんの逝去を伝える衝撃的なニュースに接した。「舟歌」はまさに八代さんの代表曲である。ファンであろうとなかろうと、この曲の醸し出す独特の情緒と八代さんのハスキーな声は同じ時代の同じ空気を生きてきたことを証するものである。筆者の若い頃を思い出すと、「なみだ恋」が場末の飲み屋の記憶とともに深く心に刺さっているのを感じる。



四日より筋肉維持や畑に出る       石田桃江


 正月の三が日が終わると、多くの人が職場に復帰する。田畑を営む人々も然りであるが、やはり退職などで一線から退くと、心配になるのは体の衰えである。しかし長年培った感覚で、これこれの畑仕事ができているうちは大丈夫という自信もあるのだろう。その自信の裏付けとなるのが筋力である。最近は体重計などで、筋肉量なども計れるらしい。そのようなデータを駆使しながらの畑仕事にいそしむ日々・・・うらやましい。



むらさきや蓬壺に残る冬の月        五島高資


 蓬壺とは蓬莱山のことであるという。蓬莱山は中国の神仙思想で東方の海上にあると信じられた伝説の山で、不死の仙人が住むという。中国の東方海上といえば日本のことであるので、まさに日本の国土がイメージされる。そして作者自身も「蓬莱紀行」という句集を出版している。警句の「むらさきや」であるが、紫色は洋の東西を問わず最も高貴な色とされてきた。その影響か蓬壺には上皇の御所という意味もあるようだ。これらの推測がどこまで当たっているかわからないが、おのづからこの句の景が定まってくるように思える。




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  「俳句スクエア集」2024年 1月号鑑賞 Ⅱ

                   

                         和久井幹雄




縛地蔵ほどいてをりぬ冬銀河         石母田星人

 縛地蔵(しばられじぞう)は「大岡裁き」で有名であり、葛飾区の南蔵院に安置されている。衆生の願いをかなえるために縛られており、年に一回、大晦日の日に縄が解かれるそうである。かくなる人間の世俗的な営為に対する冬銀河との対比は、宇宙の真理の一齣なのかも知れない。


抜け目なき太郎冠者なり狸汁         朝吹英和

 狂言における主人と太郎冠者との関係は主従の関係にあるが、大抵、太郎冠者の機転により主人が打ち負かされるというパターンの狂言が多い。狸というと「カチカチ山」の悪いイメージがあるが案外賢い動物のようである、狸汁は太郎冠者の機知に通じているようでもある。


風花の降って来そうな瓦礫かな        松本龍子

 ガザ地区の戦争の事を詠んだと思われるが、今読むと能登半島地震の跡が思い浮かんでくる。「風花」は小津安二郎監督の映画のタイトルにもなった美しい言葉であるが、今は能登半島の一日も早い復興を願いたい。


能登べうべう負けてたまるか雪安吾      干野風来子

 能登の輪島市門前町に総持寺が鶴見に移転する前の元の場所に「総持寺祖院」と云う寺院がある。以前訪れたことがあるがかなり格式のある寺院であり、寒中に座禅、托鉢といった曹洞宗の厳しい「雪安吾」を行っている。旧仮名の「べうべう」は漢字に直すと「淼淼(びょうびょう)」であろう。能登半島の西側は能登金剛と云われる箇所を始めとして険しい断崖が続いており、断崖に立つと能登の海原がまさに「べうべう」と広がっていることを実感する。今回の地震で「総持寺祖院」もかなりの被害を受けたようである。中七の「負けてたまるか」の言葉を被災地への激励の言葉として受け取りたい。


むらさきや蓬壺に残る冬の月         五島高資

 「蓬壺(ほうこ)」とは、蓬莱山の別称。また、内裏や上皇の御所を指すそうである。蓬莱山は道教思想で神仙境を指しており内裏もそのような場所と考えられていたようである。その影響で「桐壺」や「藤壺」のような御殿の名が付けられたようである。

上五の「むらさきや」は、甚だ概念の広い言葉であるが、紫は古来より高貴な色と考えられており、この場合の紫は「紫式部」「紫の上」の名にあるように高貴な女性を表していると考えられる。掲句は、其の上(かみ)の皓皓と輝く冬の月光の下でのやんごとなき世界を描いている。







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  「俳句スクエア集」2024年  1月号 好句選

                   

                         五島高資




  金星の入つて来たる冬の門         石母田星人


  フルートの余韻吸ひ込む寒月光       朝吹英和


  祈る手の軽くなりたる初明り        松本龍子


  人類の業をぬぐひて冬銀河         加藤直克


  初雪やわが手に載せし生卵         大津留直


  光琳の川に括れや雪女郎          和久井幹雄


  サトちゃんのお鼻の欠けて年つまる     今井みさを


  コロナ禍に萎えし気力や冬の雲       十河智


  冬座敷微塵となりて集ひける        眞矢ひろみ


  青写真癖は変はらぬ知己であり       岩永靜代


  ただ行ってみるだけの旅石蕗の花      児玉硝子


  川涸れて遠くから見る鰓呼吸        石川順一


  シリウスは生くる指針や耀へり       松尾紘子


  奥能登やカフカのやうな海の雪       干野風来子


  冬眠を匿う森の寝息かな          於保淳子


  トラクター地域再生音の四日        石田桃江






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