「俳句スクエア集」2023年 11/12月号鑑賞 Ⅰ

                   

                         加藤直克






道化師の泪の上の浮塵子かな        石母田星人

 

 「泣き笑いして我がピエロ・・・」と始まる清水脩作曲の男声合唱曲「月光とピエロ」を思い出す。フランスの詩人アポリネールの詩に堀口大学が訳を付けた。道化師は笑いを振りまくが泪はこぼさない。それは瞳を覆っているだけだ。それがなぜ浮塵子と結びつくのか。浮塵子は群れをなすと雲か霞のようになるので「うんか」と言う。しかし一匹の浮塵子の真っ黒な瞳は意外に眼ぢからがある。道化師は泣き笑いの向こうを見ようとしているのではないか。


 

幻視幻聴都心の森に蚯蚓鳴く        朝吹英和

 

 都心の神宮球場周辺の再開発で都民に緑の憩いを与えてきた樹木が伐採されようとしている。それは抗いようのない時代の推移なのか、それとも飽くなき資本の侵食なのか。いずれにせよ「蚯蚓鳴く」という季語にはすべてを幻ととらえる底力が感じられる。都心の営みのリアルは幻視幻聴としてとらえることではじめて何かが見えてくるのかもしれない。


 

少しずつ火の神になる冬紅葉        松本龍子

 

 最近は12月になってはじめて紅葉が鮮やかになることが珍しくない。「冬紅葉」という季語は季節と紅葉との微妙なずれや交錯が暗示されていて趣が増す。掲句では冬なればこその紅葉を「火の神になる」と表現していて、不動明王の炎に包まれた赤き顔などが浮かぶ。と同時に「火」が「霊(ひ)」を通じて「緋」になり、やがて「霏霏と散る(雪)」というところまで暗示しているように思える。


 

コスモスの乱れに鳥の骸かな        大津留直

 

 コスモスは花であるとともに宇宙(コスモス)である。花は一時咲き乱れ、やがて枯れていく。鳥は飛びながら命を尽くし骸となる。宇宙はどうなのだろうか。輪廻を永劫回帰としてとらえれば宇宙さえも超新星の爆発の痕跡のように骸をさらすときがある。それも一時の位である。


 

熊楠のたふさぎ白し月夜茸         和久井幹雄

 

 慶応3年(1867年)和歌山県に生まれた南方熊楠は隠花植物(菌類、地衣類など)採集の際、ふんどし(たふさぎ)姿で山を駆けめぐり「天狗」と呼ばれた。若くしてアメリカに渡り、20カ国語以上に通じ、イギリスで『ネイチャー』に論文を発表し業績を上げた。中沢新一は熊楠をライプニッツやフンボルトに匹敵するオールラウンドな天才と評している。帰国後は熊野の原生林を調べ粘菌などの研究で注目された。月夜茸(ツキヨタケ)は椎茸に似た毒茸で、主に嘔吐や下痢の症状を引き起こす。掲句は「たふさぎ」の白さと月夜茸のイメージが粘菌の研究に没頭した熊楠の世界を暗示している。


 

天までは届かぬ梯子曼珠沙華      服部一彦

 

 天と梯子の取り合わせは旧約聖書のヤコブが見た夢を思い出させる。その梯子を天使が上り下りしていたというものである。掲句では曼珠沙華を祈りの比喩としてとらえ、天に向かう梯子をイメージしたのであろう。しかし梯子は天に届かない。山口誓子の句に「つきぬけて天上の紺曼朱沙華」がある。こちらは地上の曼珠沙華と対比させて天上の紺を描いている。祈りの届く届かないは神の思し召しにしたがうということなのであろうか。


 

灯台のひとすじ金青の夜長       岩永靜代

 

 「金青」という語に惹かれた。「こんじょう」と読むのであろうが、意味は紺青と同じと捉えてよいようだ。しかし掲句では「灯台のひとすじ」が金で、「夜長」の青のとの対照が鮮やかである。それが「金青」という一語にまとまることで、ゴッホの「星月夜」を思わせる絵が浮かんでくる。


 

凍星の降つては昇る瓦礫かな      五島高資

 

 東日本大震災から約13年後の令和6年11日、能登半島が大地震に見舞われた。津波、火災と息つく暇もないなか、多くの市町村で家が倒壊しているがその全容はまだわからない。掲句の「瓦礫」はこの二つの災害にとどまらず、日本列島に住むものが昔から目にしてきた原風景と捉えるべきなのかもしれない。であればこそ日本人ならではの助け合い、支え合いの強い絆が育まれてきたのであろう。凍星は冷たい光ではあるが、倦むことなくまなざしを注ぎ続けている。この一句に託された思いは深い。

 



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  「俳句スクエア集」2023年 11/12月号鑑賞 Ⅱ

                   

                         和久井幹雄





身に入むや曽良は蹤きくる何処へでも     石母田星人


 かつて壱岐勝本に曽良の墓を訪れたことがある。国道から急な岨道をうねうねと登ったところに墓所があった。墓石はかなり傷んでおり、墓碑銘も読みづらくなっていた。曽良は幕府の巡見使を行っており、視察に訪れた壱岐で病に倒れたようである。思えば「奥の細道」の旅立ちから芭蕉に同行し、山中温泉で別れるまで芭蕉の旅をよくコーディネートして来た。「蹤(つ)きくる」の措辞を使ったことにより、曽良の温厚篤実な人柄が伝わって来ている。上五「身に入む」の季語の斡旋も本意をよく捉えている。



幻視幻聴都心の森に蚯蚓鳴く         朝吹英和


 「幻視幻聴」、見るもの聴くものすべてまぼろしという冒頭部から、奈良の興福寺や薬師寺で行われているの法相宗のことを思い出した。法相宗によれば私たち人間が見るものは、すべて幻想にすぎないという考えである。「蚯蚓鳴く」は幻聴の際たるものであろう。現実にあるのは「都心の森」のみであるが、都心の森の中にひとりぽつねんといる作者さえも幻想であると思えてくる。



言の葉は地軸をゆらす帰り花         松本龍子


 「言の葉」とは単なる言葉ではなく、「古今和歌集仮名序」に「やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。・・・花に鳴く鶯、水にすむ蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける」とあるように詩歌における言葉を連想する。そもそも地軸の傾きがなければ春夏秋冬が生まれて来ておらず、多くの「言の葉」が生まれて来なかったであろう。畢竟、地軸は「言の葉」の揺籃ともいえる。掲句は地軸を客体として捉え、「言の葉」が「地軸をゆらす」という意表を衝いた発想をしている。下五の「帰り花」が上五・中七の逆説的な着想を支えている。



木漏れ日のことにあかるき神迎        加藤直克


 「神迎」は、十一月朔日に出雲から帰って来る神を出迎えることをいう。民俗学関係の著書を見ると「神送り」の日は神社に参詣するなどの儀式を行うが、「神迎」の儀式は行わないという地方が多いようである。「神迎」と云っても実際に神は眼に見える訳ではないので、神が戻ってきたという気持ちの上での安堵感が主体となるのであろう。「木漏れ日」は神社の森を象徴しているようである。中七の「ことにあかるき」を平仮名表記にしたことにより、神を迎えるという祝意に溢れた句になっている。



月草の帰りそびれて咲きにけり       五島高資


 「月草」は「露草」の古名で万葉集や古今集で使われている。「つきくさ」の語源は、衣に摺るとよく染み着くところから、又は月影を浴びて咲くことから付けられた名前のようである。露草は道端や草地によく見られる花で早朝に咲くのが特徴である。「帰りそびれて」とあるから当直明けではないようである。作者が研究か論文の作成をしていて朝になってしまったのであろう。「咲きにけり」の何気ない措辞に、ふと眼に留まった瑠璃色の露草に心を癒されたことが感じられる。







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  「俳句スクエア集」2023年  11/12月号 好句選

                   

                         五島高資




  時雨忌や宇宙の匂ひ迫りくる        石母田星人


  石蕗の花だるまさんが転んだとな      朝吹英和


  地下水に沁みこんでゐる冬銀河       松本龍子


  松山にヨナを吐き出す鯨かな        加藤直克


  コスモスの乱れに鳥の骸かな        大津留直


  がん細胞取れて秋日の深く差す       和久井幹雄


  天までは届かぬ梯子曼珠沙華        服部一彦


  もののふの桜にあはき冬芽かな       今井みさを


  コロナ禍の紅葉の山の遠かりし       十河智


  鷹の眼に悲の器なる焦土かな        眞矢ひろみ


  ハシビロコウに見透かされたる秋思かな   岩永靜代


  洗礼を受けた気がする秋の声        児玉硝子


  行く秋や部屋捨てられぬものばかり     生田亜々子


  柊の花に取材のヘリ速く          石川順一


  文机に通草二つが青龍忌          松尾紘子


  この惑星に未来のありやイマジン忌     干野風来子


  柘榴の実その一言がいのちとり       平林佳子


  銀杏散る足の裏から柔らかし        於保淳子


  こすもすのゆれてはかるくなるこころ    石田桃江






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