「俳句スクエア集」2023年 10月号鑑賞 Ⅰ

                   

                         加藤直克






良宵の匣浮上る飛行石       石母田星人


 飛行石は宮崎駿のアニメ『天空の城ラピュタ』に出てくる反重力の力を持つ青色の石。空気に触れるとその力を失うという。料峭はよく晴れた満月の夜。満月を眺めていると心も体のみならず家屋までも浮遊する感じを飛行石を入れた匣に喩えたのであろうか。そもそも天空を飛ぶラピュタという国はスィフトの『ガリヴァー旅行記』にでてくるが、とにかく発想がユニークで、さまざまな想像をかき立てられる。


G線の撓みしままの残暑かな       朝吹英和


 G線といえばバッハの名曲「G線上のアリア」が思い浮かぶ。G線はヴァイオリンの4本の弦の中で一番太く、低音を出す弦である。そのG線が酷暑の続いた今年の夏の終わりにいたって伸びてしまっているのであろう。それは熱中症などで不安定になってしまった自律神経の撓みと共鳴しているのかもしれない。「残暑」が秋の季語であればこそG線の撓みが元に戻って美しい調べを奏でることを願うのみである。


生前と死後のあいだに秋祭         松本龍子


 古代では貴人が亡くなると、殯(もがり)もしくは荒城(あらき)という建物に安置して祭を行う習慣があった。それは鎮魂の祭であるが、魂振りともよばれた。亡き人の魂とそれを送る人の魂を揺り動かして浄化を図るということであったらしい。そのために鐘や笛や歌が用いられたのであろう。魂振りは「たまはふり」ということであり、そこに「葬(はふむ)る=ほうむる」が由来するという説を読んだことがある。その真偽はわからないが、死者と生者の両者の魂が清まることを願って「秋祭」が催されるのであろう。


名月や奇岩の貌を照らし出す        大津留直


 月に照らし出された奇岩に作者は自らの詩業を象徴させている。それは昼間の光では満たされない。なぜなら昼光はすべてのものの異なりを明らかにする分別知の領域だからである。そこでは奇岩はただ変わった形の岩としてしか認識されない。月の光に照らされて初めて奇岩は奇岩としての自らの心の奥を、その苦しみや嘆きを、憧れや悦びを語り出すことができる。それは月が母性の象徴だからではないだろうか。


雲の峰団地に隣る墓の列          服部一彦


 戦後の経済成長の時期に立てられた団地は老朽化と共に建て替えの時期を迎えているという。たまたまであろうが、その傍らに墓地が隣り合っている風景が思い浮かぶ。するとそこに妙な親和性があるような気がしてくる。雲の峰はたしかに団地の壮観をイメージさせるが、それは一時のことである。時は移ろい雲の峰は崩れる。団地に住んだ人々の喜びや悲しみがリアルであればこそ無常の美を感じるということではないだろうか。それを語るものが墓の列である。


無影灯に掠るる意識火恋し         岩永靜代


 無影灯は外科手術の際に患部に影ができないように工夫された照明灯である。「掠るる意識」とは全身麻酔で意識が遠くなっていく状況であろう。掲句の「火恋し」は、手術の成功を願う「命の火」ということであろうか。手術を受けるのが自分なのか大切な人なのかは分からないが、切ない祈りが感じられる。


小鳥来たかと思ったら小学生         生田亜々子


 すっと読めてぱっと心が明るくなる楽しい句。そして何回も口ずさんでみたくなる句。いとも簡単に(かどうかわからないが)こういう句が作れる俳句感覚を讃えたい。ちなみに筆者は住宅団地から田園地帯をすぎて2キロほどの小学校まで、帰り道の引率ボランティアをしたことがあるが、まさにその光景を彷彿する句であった。


秋鯖や風呂のボタンを闇で押す       石川順一


 風呂のボタンを闇の中で押さなければいけないのは停電なのか。それともあまりに慣れているので電気をつける必要もないということか。その日常と非日常の交錯のなかで「秋鯖」が効いている。


団栗の降りて原始の音色かな         於保淳子


 風の音に混じって団栗が降ってくる音がする。それを「原始の音色」ととらえると、思いは縄文時代へと遡る。縄文時代の主食は栗やドングリなどの木の実であったという。そのころ人々は小さな集団で里山に囲まれたところで住んでいたのではないか想像が拡がる。


いなびかり硯の海の深さかな         五島高資


 まさにこれから水墨画で龍を描こうとする瞬間、硯の墨には「いなびかり」が一閃するほどの緊張感が漲っている。龍はまさに硯の海から天へ昇ろうとしている。






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  「俳句スクエア集」2023年 10月号鑑賞 Ⅱ

                   

                         和久井幹雄





瓢箪や深空を流れゆく微笑        石母田星人


 冒頭から「瓢箪や」と来られると、思わず「瓢箪でナマズを押さえられるか」と云う禅の公案と共に国宝『瓢鮎図』を思い出してしまう。「ふくべ」や「ひさご」と表すと端正なイメージであるが、「瓢箪」には何故かある種の滑稽さが伴ってくる。これを受ける措辞が「深空を流れゆく微笑」である。「深空」は眼前に見える単なる空ではなく、形而上的な意味合いを持つ言葉である。作者は日常の空の深遠に、瓢箪の発する可笑しみの本質を捉えたのかも知れない。中七・下五は何故か上五の公案に対する答えのように思えてくる。



マーラーのホルン全開大花野       朝吹英和


 一読して爽快な句である。マーラーはホルンを効果的に多用した作曲家として名高い。ホルン全開と云われると交響曲3番の冒頭部分が名高いが、筆者には交響曲5番の第3楽章の出だしのホルンの咆哮が思い浮かぶ。牧歌的なホルンの音色から、花野への転位は無理がなく納得できる。特にマーラーがオーストリアの湖畔の別荘で5番を作曲した背景を想うと「ホルン全開と大花野」の関係に得心するものがある。



生前と死後のあいだに秋祭        松本龍子


 「生前と死後のあいだ」は難しいものの云い方である。「生前」は元々生きている「あいだ」という意味であるから、「死後」との「あいだ」と云われると解釈に混乱が生じる。「生前」を生まれる前とするなら、数学的に「あいだ」の定義がはっきりするが、そうではないであろう。一つの時間的な通過点である「今」と捉えるのが自然のような気がする。この巧みな措辞の効果により、年中行事としての「秋祭」に詠嘆が生まれている。又、「今」を最も大切とする神道で云うところの「中今(なかいま)」を享受する気持のようなものも感じられる。


 

諍いの後の沈黙梨を剥く         松尾紘子


 「諍い」は句の感じからすると夫婦間でのものと思われる。句は一旦、中七の「沈黙」で切れるのであろう。秋に剥く果物と云えば「林檎、梨、桃、柿」が思い浮かぶが、上五・中七の状況に相応しい果物を考えた場合、まず「桃」はあり得ないであろう。「沈黙」を受けるのであるから、剥く果物は或る程度の饒舌感がなければならない。「林檎」「柿」はどうだろうか、果物の持つ水分量から考えるとおとなし過ぎるように思える。やはり水分量の多い「梨」のサクサクとした感じが下五の抑えには相応しいであろう。



鞠玉となりて消えたり秋の虹       五島高資


 一読して、三好達治『測量船』「少年」の《夕ぐれ とある精舎の門から 美しい少年が帰ってくる 暮れやすい一日に てまりをなげ 空高くてまりをなげ・・・》の一節が思い浮かんだ。「鞠玉」から「手鞠」をイメージすることが出来た。但し「手鞠」は新年の季語であるのと語調を整えるために、作者は「鞠玉」を用いたものと思われる。果たして「鞠玉」はどこへ消えたのであろうか。「消えたり」の断定から推測すると「鞠玉」には何か元に戻れないものの象徴である「時間」のようなものを感じることが出来る。下五の「秋の虹」も句の寂寞感をより高めている。







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  「俳句スクエア集」2023年  10月号 好句選

                   

                         五島高資




八十億人眺むる月の孤独かな        石母田星人


マーラーのホルン全開大花野        朝吹英和


秋祭もどつてこない音ばかり        松本龍子


クラインの壺を出られぬ青瓢        加藤直克


窯跡を寂と覆へる星月夜          大津留直


宵闇の静かに廻る転車台          和久井幹雄


雲の峰団地に隣る墓の列          服部一彦


天城嶺の風集めたる赤のまま        今井みさを


金婚と祝ふことなく鰯雲          十河智


蜩や地裁の判決は敗訴           岩永靜代


蕪村画の笑い頂く秋の夜は         児玉硝子


指先で全て済ませる秋の夜         生田亜々子


秋鯖や風呂のボタンを闇で押す       石川順一


諍ひの後の沈黙梨を剥く          松尾紘子


教室の硝子のウサギ秋ぽぽろ        干野風来子


秋風を帆にたたみおる練習船        於保淳子


日より雨稲穂の黄金磨きたる        石田桃江






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