「俳句スクエア集」2023年 9月号鑑賞 Ⅰ

                   

                         加藤直克






秋風の子を宿したるポリ袋     石母田星人


 「秋風の」で切るべきか、それとも「秋風の子を」とつなげるべきか。秋風とポリ袋のいずれも妊娠や出産のイメージに結びつかないが、掲句はそれを逆手にとって心の奥に語りかけてくる。「秋風の」で切れば、秋風は景の背景となりポリ袋が子宮と結びつく。「秋風の子を」とすると秋風と妊娠との結びつきにドラマ性が増す。しかし普通のポリ袋がいずれの解釈をも両断して、あたりまえの日常へと引き戻す。



雷鳴に歯向かふドルフィンキックかな    朝吹英和


 ドルフィンキックを行うのはバタフライを泳ぐ人間だけなので、イルカが主題ではないと思う。とすれば掲句の雷鳴は世界水泳などでの観客の歓声かと思うが、その歓声を圧倒するほどの見事な泳ぎが目に浮かぶ。夏の季語としては雷と神鳴りがあるようだが、まさに鬼神をもおどろかす泳ぎなのであろう。



鈴虫のこゑが時計にたまりをり      松本龍子


 物言わぬ時計にたまりゆく時間ということだけでも、心にひびくものがあるが、そこに鈴虫のこゑがたまるという発想に驚かされる。鈴虫の声に耳かたむける時間はそれとして意識されずに音もなくやってきてはいつしか去って行く。そのマレビトの来訪のような時間は、じつは時計の中にひそかに湛えられていたのだ。



海原に研がれて苦き秋刀魚かな      大津留直


 秋刀魚をまさに一本の刀と見て、海原に研がれると詠んだ。しかもその生涯を「苦き」と端的に断じている。しかしそこには絶望や嘆きはない。「苦き」はそれを味わう他者の感想である。秋刀魚そのものにとっては苦いも甘いも、美味いということさえもないのである。そこに大いなる命のさわやかささえ感じられる。



隔絶の池の畔や竹落葉          十河智


 隔絶と聞いただけでコロナ禍の巣ごもりが連想される。退職して人と会う機会が減っていくと、気がつけば隠者のような生活になっていることもあるだろう。掲句ではそこに「池の畔」が出てくるが、「隔絶の池」とも読める。池は静かな生活の象徴として読めるが、隔絶感を生み出すものでもあるのだろう。池の畔に積もりゆく竹落葉にふと自分の姿を発見しているのかもしれない。



底紅や小児科医院閉づといふ        松尾紘子


 底紅は木槿のこと。白い花びらの底に紅色がある。朝に咲き夕にしぼむことから儚いものの象徴でもある。長年子供たちの健康を支えてきた小児科医院が、おそらくは医師の老齢化と地域の少子化が重なって閉院となったのであろう。まさに現代日本の偽らざる姿であるとともに、作者の万感の思いが伝わってくる。



いつはりの天網恢々かまどうま       干野風来子


 天網恢々といえば疎にして漏らさずであるが、日本的にはお天道様が見ておられるということになるのだろう。だが作者は「いつはりの」と形容している。そうつぶやくのは「かまどうま」であろう。たしかに天網を現代的にイメージすると、インターネットを使ったサイバー空間ということになるような気がする。最近はありとあらゆるところから個人情報が盗まれて犯罪にさらされたり、逆に監視社会への道をだれも止められない状況だったりする。そう思うと「かまどうま」の述懐がにわかに心に迫ってくる。



真菰馬駆け出す風の時代かな        五島高資


 真菰馬は七夕の夜牽牛が織り姫に会うために乗る馬を模して、真菰や藁で造る。真菰馬が駆け出すのは天の川に架かる橋で、地上の真菰と銀河系が直ちに結びつく。西洋占星術では地軸の北極が26000年を周期とする円運動(歳差運動)にもとづいて、2000年ごとに12星座を割り当てるが、風の時代とは西暦2000年頃からはじまったアクエリアスの時代すなわち水瓶座の時代のこと。それまで2000年間続いた魚座の時代、すなわち支配の時代が終わり、解放の時代となったという。おりしもその頃から個人の霊性の自覚にもとづくニューエイジの運動が起こった。日本でも古いしきたりや祭りを再発見することで、時代の閉塞感を克服することができるのかもしれない。





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  「俳句スクエア集」2023年 9月号鑑賞 Ⅱ

                   

                         和久井幹雄





ぽつねんと泛ぶ地球や涼新た       石母田星人


 恰も宇宙ステーションから地球を眺めたような句である。天動説と地動説の狭間にいるような俳人では、このような発想の句は生まれないであろう。戦争や地球温暖化で賑々しい地球を「ぽつねんと」と見た作者の眼は冷徹であり達観しているようでもある。作者は自転しながら公転している地球の動きを日常的に体得しているのであろう。「ぽつねんと泛ぶ地球や」の浮遊感溢れる措辞に対し、「涼新た」の抑えは、現実の地球に引き戻され、絶妙な効果を生んでいる。



竿燈を仰ぐ尼僧の吐息かな        朝吹英和


 「竿燈」は、かつて仕事に関係するシンポジウムで秋田市に行った際に、伝統文化を体験するという名目で大きな体育館の中で担いだことがあるが、風のない状態でもバランスの取るのが難しかったのを記憶している。さて、「尼僧」であるが、小生と朝吹英和との共通の師である磯貝碧蹄館が好んで使ったモチーフであり、9句ほどの作品を残している。どれも連想の広がる句であるが、敢えて1句挙げてみると《街騒に消えし尼僧と茗荷竹》がある。掲句からは若い尼僧を想像した。下五の「吐息かな」の詠嘆は竿燈の華やかな提灯や巧みな演技によるものと思われるが、それ以外にも読み手に何かを連想させる。何処か健康的なエロスを感じさせる句である。



鈴虫のこゑが時計にたまりをり      松本龍子


 ラフカディオ・ハーンは虫の音の美しさを愛するのは日本人とギリシャ人だけだと述べたという。昔の夜店には、よく虫売りが店を出していたが、その主体は鈴虫であったように思う。特に日本人にとって鈴虫は、源氏物語の鈴虫の巻にも遡り、昔日の思い出に誘われる素材である。この場合の「時計」は現実の時間ではなく、遠い時間を象徴しているのであろう。下五の「たまりをり」は、蕪村の《遅き日のつもりて遠き昔かな》の「つもりて」の追懐に通じるものがあり巧みな表現である。


 

ぶうらりと飛んで晩夏の大鴉       今井みさを


 「大鴉」と聞くと思わずポーの物語詩に登場する人間の言葉を喋る大鴉が思い浮かぶ。ポーの大鴉は「ネバーモア」を繰り返す不吉な鳥として師走の厳冬期に部屋の中に入って来たが、掲句の場合、晩夏の大鴉として描かれている。大鴉は本来ワタリガラスという渡り鳥で日本では北海道の一部に冬に飛来する様であるが、この句の場合文字通り大きな鴉と捉えてよいであろう。「ぶうらりと」のオノマトペと「晩夏」の取り合わせが巧みに呼応しており、ポーの大鴉とは異なった、何物にも拘泥されない大鴉が、晩夏の空を飄然と飛んでいる景が見えてくる。



真菰馬駆け出す風の時代かな       五島高資


 「真菰馬」は関東から東北地方の南部で、七月七日の日に真菰の葉で馬の形に作り七夕の笹に吊るしたりして飾った馬である。吊るして飾るので足は当然、脆弱に作られている。《ふんばれる真菰の馬の肢(あし)よわし》(山口青邨)。しかし、掲句は「真菰馬」が駆け出すと云っている。つまり逆転の発想である。今までは地に足の着いた「物質」が大事にされた「地の時代」であったが、これからは眼に見えない「精神性」に価値を見出だす「風の時代」に突入したのである。その象徴として「真菰馬」の疾駆する姿は納得するものがある。






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  「俳句スクエア集」2023年  9月号 好句選

                   

                         五島高資




秋風の子を宿したるポリ袋         石母田星人


雷鳴に歯向かふドルフィンキックかな    朝吹英和


方円をととのへてゐる水の月        松本龍子


揚花火消ゆるまぎわのふるへかな      加藤直克


海原に研がれて苦き秋刀魚かな       大津留直


三伏の七味の缶の穴さぐる         和久井幹雄


空蝉を拾へば絶ゆる海の音         今井みさを


鬼が来て岬を灯す夏の果          眞矢ひろみ


コロナ三年老い急かされてゐる猛暑     十河智


八月やキャップ固まるヤマト糊       岩永靜代


銀漢や六十兆個の一人生り         平林佳子


大西日岩になりたい日があって       児玉硝子


きれぎれの祭囃子の夕まぐれ        生田亜々子


水を吸ふ表紙ごはごは野分来る       石川順一


閑居の膝抱だくほか無し遠花火       松尾紘子


ほんたうの空を見てゐるとりかぶと     干野風来子


甲板の木肌さらりと鰯雲          於保淳子


揚羽蝶熱波かいくぐり消えにけり      石田桃江

  




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