「俳句スクエア集」2023年 8月号鑑賞 Ⅰ

                   

                         加藤直克






滝は落つ己の音の中に落つ         石母田星人


 季語としての滝は夏であり、それは景として立ち現れる。しかし滝を詠むということは、必ずしも景を詠むことに限定されない。掲句では滝は景ではなく、出来事、いいかえれば音も水しぶきもすべて含めた「経験」そのものである。これを滝という「こと」と捉えてもいいかもしれない。西田幾多郎のいう「純粋経験」と言っていいであろう。滝が落ちる「そこ」すなわち「現」に飛び込むならば「己の音の中に落つ」はまさに言葉の届かぬ「無底」を示しているといえよう。



ピノキオの尖る鼻先赤蜻蛉         朝吹英和


 ピノキオのピノは松のことらしい。木製人形のピノキオは言葉がしゃべれる。それゆえに嘘をつくことができるのだが、そのたびに鼻先が伸びてしまう。その鼻先に止まった赤蜻蛉によって嘘を見破られたのであろう。しゃれたユーモアを楽しむ句なのであろう。



不知火は常夜の裂目かもしれぬ       松本龍子


 ベートーヴェンの第九の歌詞(フリードリヒ・シラー作)に「星のテント」という表現がある。シラーはそのテントの外側に神が存在するに違いないと歌い上げる。常夜はまさにテントの内側、この世の闇と捉えることができる。すると掲句の不知火はまさに常闇のかなたを暗示する「常夜の裂け目」ということなのであろう。しかし常夜の闇はじつは私たちの心にも拡がっている。不知火はそのことをあらためて教えてくれるのであろう。



うつせみのしかと縋りし王の墓        今井みさを


 「王の墓」とは埴輪に囲まれた古墳を意味するのであろうか。それともエジプトのピラミッドや王家の谷であろうか。そのいずれも生前の生活が死者の国においても存続するようにとの願いから造られたようだ。うつせみも「われ誕生せり」、すなわち「おぎゃー」の一言を伝えんがための意匠であるとみることもできる。その意味では王家の谷のミイラに通じるのであろう。



オーガンジーの揺れる帽子や夏の風      於保淳子


 オーガンジーは薄物の生地で、とくに女性の夏の装いに多く使われているようだ。夏の装いと言えば羅や紗、あるいは薄衣などが季語としてつかわれるが、オーガンジーは季語としてはまだ認知されていないらしい。薄地で透明感のある生地なので、そこに特別の情念や感慨を感じることなくすっと入ってくるさわやかな一句である。



ピッコロの軽きメロディー梅雨曇      十河智


 ピッコロの軽やかで透明な音色は梅雨曇のまさに対極にあるように思える。実際にどんなメロディーがイメージされているのか、あれこれ考えてみてもなかなか思いつかない。しらべてみるとヴィヴァルディがピッコロ協奏曲という曲を作っていることが分かった。ユー・チューブにあったので聞いてみると、まさに梅雨曇りだからこそ聴いてみたいとても魅力的な曲である。とくに第2楽章がいい。



髪梳かす子宮に海月すまはせて        平林佳子


 この夏は海月の句を作ろうとあれこれイメージを膨らませたが、子宮にたどりつくことはなかった。やはり女性の身体性に基づく句には圧倒される。こう言ってしまうとそれ以上の言葉が出てこないのだが、髪梳かすしぐさの優美さそのものが子宮と連動していると思うと、男には想像もつかない世界に住まわれているのだなあという感慨がこみ上げてくる。



梅雨出水めらめら堰を落ちにけり       石田桃江


 「めらめらと」の描写に衝撃を受けた。まさにいま目の前で堰をあふれて大切な田畑になだれ込んでくる水。「めらめら」とは通常は焼きつくす炎を表現するものであるが、災いの化身となった出水は炎に等しい悪鬼の表情なのであろう。



白毫に遠くて近きかたつむり        五島高資


 白毫は仏の眉間に生える白い毛で、光を放つという。それは悟りのまなざしであるとともに、仏の大悲を表すのであろう。掲句の「遠くて近き」は、かたつむりという片隅のささやかな生きものでさえ仏の悟りと慈悲の光を放っているということであろう。たしかに虹色にきらめくかたつむりを見たような気がする。





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  「俳句スクエア集」2023年 8月号鑑賞 Ⅱ

                   

                         和久井幹雄





滝は落つ己の音の中に落つ        石母田星人

 滝の句といえば、後藤夜半の《滝の上に水現れて落ちにけり》を想起する。掲句の場合、上五の「滝は落つ」は視覚による客観であるが、中七・下五の「己の音の中に落つ」は、滝を景としてではなく擬人化した主観に入れ替わっている。つまり、滝が落ちる刹那は客体であったが、滝が落ちてからは主体という事になる。後藤夜半の句は客観に徹しているが、掲句は客観と主観が屈折しており、「己の音」という聴覚による転位の手法が鮮やかである。


夏館江戸川乱歩の陰の濃し        朝吹英和

 江戸川乱歩は小学生の頃、雑誌『少年』に掲載されていた「少年探偵団シリーズ」からのファンである。雑誌の中に江戸川乱歩先生は「土蔵の中で蝋燭の明かりで小説を書いている」と云うのを後年迄、信じて疑わなかったが・・・。池袋にある旧乱歩邸には土蔵が今も残されており、いかにも夏館然としている。「陰の濃し」は、子供向けにはない乱歩作品の持つ、おどろおどろしさの比喩として納得するものがある。


不知火は常夜の裂目かもしれぬ      松本龍子

 7月号の鑑賞で松本龍子にとって、「常世(とこよ)」は重要なテーマの一つであると書かせて頂いたが、「常夜(とこよ)」も同じモチーフの作品である。「常夜」は、「常世」の古い云い方のようであるが、作者の第一句集『龗神(おかみのかみ)』を読むと両者を微妙に遣い分けているようである。「不知火」は八代海の沖合に無数の光が明滅し、横に広がってゆらめいて見える現象を指し、秋の季語とされている。その神秘的な光の出現を見れば、「常夜の裂目」の見立ては大いに首肯できるであろう。

 

蠍座の海より出でて走馬灯        加藤直克

 さそり座は、宮沢賢治の最も好んだ星座であり『銀河鉄道の夜』の中にある「過去にいくつもの命をとったサソリが、今度はイタチに命をとられそうになる・・・」という譬え話を思い出す。さそり座は地平線からあまり高く上がらないので、日本では漁師がさそり座のS字状カーブの下の部分を釣り針に見立て、「魚釣り星」という名前が付けられている。中七の「海より出でて」の措辞はさそり座の南天における位置を上手く捉えている。『銀河鉄道の夜』のサソリの譬え話からは輪廻転生が思い浮かぶが、「走馬灯」も又、輪廻転生の延長線上にあるものであろう。


白毫に遠くて近きかたつむり       五島高資

 「白毫」は仏の眉間に生えているとされる白く長い巻き毛である。右巻きに丸まっており、伸ばすと1丈5尺(約4.5メートル)あるとされる。普通、仏像では玉(ぎょく)を嵌入してこれを表しているようである。『枕草子』によると「遠くて近いもの」に「極楽・舟の道・男女の仲」が挙げられているが、「白毫」と「かたつむり」の関係はどうであろうか。「かたつむり」が仏の「白毫」に到達しようと思うとそのスピードから至難の業であると云える。実際の「白毫」を大仏で観察すると、奈良の大仏の「白毫」は単なる突起物であるが、鎌倉の大仏の「白毫」は渦巻状に巻き付けられており、その形状は恰も「かたつむり」がへばりついているようである。中七の「遠くて近き」の措辞に納得である。







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  「俳句スクエア集」2023年  8月号 好句選

                   

                         五島高資




秋風の子を宿したるポリ袋         石母田星人


雷鳴に歯向かふドルフィンキックかな    朝吹英和


方円をととのへてゐる水の月        松本龍子


揚花火消ゆるまぎわのふるへかな      加藤直克


海原に研がれて苦き秋刀魚かな       大津留直


三伏の七味の缶の穴さぐる         和久井幹雄


空蝉を拾へば絶ゆる海の音         今井みさを


鬼が来て岬を灯す夏の果          眞矢ひろみ


コロナ三年老い急かされてゐる猛暑     十河智


八月やキャップ固まるヤマト糊       岩永靜代


銀漢や六十兆個の一人生り         平林佳子


大西日岩になりたい日があって       児玉硝子


きれぎれの祭囃子の夕まぐれ        生田亜々子


水を吸ふ表紙ごはごは野分来る       石川順一


閑居の膝抱だくほか無し遠花火       松尾紘子


ほんたうの空を見てゐるとりかぶと     干野風来子


甲板の木肌さらりと鰯雲          於保淳子


揚羽蝶熱波かいくぐり消えにけり      石田桃江



  




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