「俳句スクエア集」2023年 7月号鑑賞 Ⅰ

                   

                         加藤直克






嫁入りの舟を見上ぐる山椒魚     石母田星人


 「嫁入り」はすでに死語になっているはずと思いつつも、なお鄙びた山間にはその習俗を守っている地域があるかもしれない。『山椒魚』といえば井伏鱒二。頭でっかちになってしまって岩屋から出られなくなってしまった山椒魚のところに蛙がやってくる。その蛙を山椒魚は自分の肥大した頭で岩屋に閉じ込める。これが「嫁入り」の比喩か。しかし蛙はいきり立ったり、わめき散らすこともせず、自分の運命に従い、ついには従容としてその命を終えようとする。「おまえのことを怒ってはいない」が嫁入りした?蛙の最後の言葉だった。その魂の自由こそ山椒魚があこがれていたものではなかったか。その自由を舟に託して「舟を見上ぐる山椒魚」と表現したのかもしれない。



青梅雨の双乳固き少女かな     朝吹英和


 青梅雨の青は通常は樹木のみずみずしい青を指すようだが、同時に「青梅」に降りかかる雨というイメージも消しがたい。そこから「双乳固き少女」という連想が浮かぶのも自然である。季節の移ろいと少女の生命力を「青」のイメージで統一した納得の句である。



海を舞ひ海を吐き出す海月かな     松本龍子


「海を吐き出す」が素晴らしい。この一言で、くらげは一つの個体であることを超えて、天地自然と一つになる。その象徴的な表現こそまさに「海月」なのであろう。そこから振り返ると「海を舞い」が、芸能、芸術としての「舞い」が目指すべき至高の境地であることがさりげなく語られている。感動的な句である。



星の死の明るい昏さ巴里祭     和久井幹雄


 巴里祭といえば7月14日のフランス革命記念日を祝う祭り。「星の死」とは何を指すのだろう。多くの人の敬愛を集めていた誰かなのか、ブルボン王朝のことなのか、それとも愛し合う二人に訪れた別れなのか。いずれにせよそれが「明るい昏さ」であるところで巴里祭の華やかさにつながる。そこに季語の力があるのだろう。



釘打てば鋼のにほひ夏めきぬ     眞矢ひろみ


 暑い時の大工仕事で釘を打った記憶があるが、その時の感覚が「鋼のにほひ」という措辞で生々しくよみがえってきた。日頃作句にあたっては、われながら句の身体性ということに関心があり、景のみならず五感の交錯する場としての「見えない身体の現れ」を心がけているが、掲句は見事にそれを成し遂げているように思う。



六月の海をゆく者ダークラム     児玉硝子


 ダークラムは4年以上熟成したラム酒、つまりサトウキビから作られた蒸留酒だという。カリブの海賊と縁が深いらしい。それゆえ「六月の海をゆく者」はたくましさ、荒々しさ、冒険心といったイメージが付きまとう。ただなぜそれが六月と結びつくのか。六月は夏至を迎え、昼間が最も長くなると同時に集中豪雨など自然の威力というかエネルギーが盛んな時である。時を経て熟成の時を迎えた何か(ダークラム)が新たな冒険に踏み出るときと言ってもよい。そのようにイメージを広げてみると、「六月」が納得できる気がする。



白ゆりの咲き継ぐ不確かな日々を     松尾紘子


 多様な意味と情緒が込められているように思う。注目するのは中七は「咲き継ぐ不確(ふたし)」で「かな」が下五に侵入し、句またがり(中九と下三)になっていることである。「白ゆり」といえば聖母マリアの純潔の象徴であり、母性の慈しみのイメージが強い。「咲き継ぐ」とは母から娘へということか。それが「不確か」であるような「日々」とは何を指すのだろうが。しかも「日々を」で切れていて動詞がない。単に「過ごしている」と言うのでもなく「耐えている」ということでもないことは伝わってくる。すべてが謎だらけなのだが、にもかかわらず全体から醸し出される高貴な香りは味わい深く、凜とした気品が漂っている。



ガネーシャの鼻の孕みや夏の月     干野風来子


 ガネーシャはヒンドゥー教の神の一柱で、太鼓腹の人間の身体に、片方の牙の折れた象の頭と4本の腕を持つという。障害を取り除き、福をもたらす商業と学問の神らしいが、もともとは自らが障害を負っていたゆえに障害を取り除く力があるということらしい。掲句の「鼻の孕み」はその福々しさと相まって、つぎつぎと傷害を越えて命をうみだすエネルギーを感じさせる。「夏の月」を母性の象徴とみれば、句としてのまとまりも納得できる。



星に触れ玉を解きたる芭蕉かな     五島高資


 初夏の季語に「玉巻く芭蕉」がある。芭蕉の新しい葉は、はじめは円柱形に巻かれていて、それが開くと2メートルもの広葉となる。これを「玉巻く芭蕉」という。掲句は、その巻かれた芭蕉の葉が星に触れて「玉を解く」、すなわち開くということである。これが句の外観であるが、同時に「造化にしたがひて造化にかへる」芭蕉の俳句精神を示しているといえよう。





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  「俳句スクエア集」2023年 7月号鑑賞 Ⅱ

                   

                         和久井幹雄





嫁入りの舟を見上ぐる山椒魚       石母田星人


 山椒魚と云えば、井伏鱒二の岩屋に閉じ込められ鬱屈した山椒魚を連想するが、この句の山椒魚は何者にも拘泥されない、かなり精神的に自由な山椒魚のようである。「嫁入りの舟を見上ぐる」の措辞に擬人化された山椒魚の健全さを感じ取ることができる。



アトリエを抜ける薫風裸婦笑まふ     朝吹英和


 中七の「抜ける薫風」から大変心地よい風が吹いているアトリエを想起する。以前、吟行で訪れた日暮里にある朝倉彫塑館が思い浮かんた。初夏の頃は中庭の池と青葉を通して気持ちのよい風が吹いてくる。裸婦は作品としてのデッサンか彫刻であろう。普通裸婦のモデルが笑う事はないが、何故か「薫風」を受容したことによる「裸婦笑まふ」の措辞には得心するものがある。



畳むとき常世の匂ふ白日傘        松本龍子


 松本龍子俳句にとって、「常世」は重要なテーマの一つである。中七に「常世の匂ふ」とあるので、反射的に折口信夫の云う「まれびと(神)」を連想するが、句からはその姿を全く想像することが出来ない。下五に「白日傘」とあることから高貴な女人に対し、常世から来た「まれびと」を感じ取ったのであろう。


 

木耳の群は星座と繋がりて        大津留直


 木耳はその形状から漢名の「木耳」の字が当てられており、読みはクラゲ(海月)のような食感から「きくらげ」の名が付けられている。一般に木耳は群生して木に生えることが多く、あたかも耳状のアンテナを張り巡らせたようである。夜は満天の星たちと通信を交わし繋がっているという発想は、詩的情緒に溢れている。



踵には閻浮檀金や大西日       五島高資


 「閻浮檀金(えんぶだごん)」は仏教用語であり、閻浮提(インドをさす)にある閻浮樹の下にある金塊。または、閻浮樹の森林を流れる川の中から出るという美しい砂金。また、広くは良質の金を云うそうである。宮澤賢治は詩の中で砂金を「quick gold(生きている金)」と云う言葉で表現している。茅舎の句に《しぐるゝや閻浮檀金の実一つ》があり、漱石の句にも《満堂の閻浮檀金や宵の春 》がある。

 掲句の場合の「閻浮檀金」は美しい砂金を想像する。踵に着いた紫を帯びた赤黄色の砂金が西日に照らされて光り輝く様は、恍惚感に溢れた原初的な世界を表出している。









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  「俳句スクエア集」2023年  7月号 好句選

                   

                         五島高資




大西日麒麟の貌の下りて来る        石母田星人



静けさを包む天恵新樹光          朝吹英和



海を舞ひ海を吐き出す海月かな       松本龍子



日光線青田透かして空走る         加藤直克



木耳の群は星座と繋がりて         大津留直



星の死の明るい昏さ巴里祭         和久井幹雄



カッターは床の間に有る梅雨の月      石川順一



白ゆりの咲き継ぐ不確かな日々を      松尾紘子

 

  




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