「俳句スクエア集」2023年 4月号鑑賞 Ⅰ

                   

                         加藤直克






樽洗ふ春光に頭を突込んで         石母田星人


 身体と景が見事に一体化した力強い句である。読み方に少し迷うが、「樽洗ふ春」と上七に読み、「光に頭を」と中七に読むのが正解かと思う。ただ、「樽洗ふ」で切る読み方も下五の「突っ込んで」が上五に続くと考えると捨てがたい。その時は、中七を「しゅんこうにずを」と読むことになるが、「頭」を「ず」と読むのは無理があるかもしれない。かといって「あたま」と読むと中九となってリズムが崩れる。「春光」を「しゅんこう」と音読みにすることで「頭」の音読みも可能になるのではとも思う。このように迷ってしまうのは「頭を突っ込む」のは単に光ではなく、光の差し込む樽であるというイメージを尊重したいからである。いずれにせよ樽を洗う作業に専心しつつ、樽の中に射し込む光が汗ばんだ逞しい「頭」にきらめいている臨場感が素晴らしい。



雉鳴くや戦火の坩堝滾りをり        朝吹英和


 ウクライナ戦争は一年経った今もますます苛烈さを増しており、停戦交渉の兆しは感じられない。ともあれ雉は日本の国鳥である。「ケーン、ケーン」と鳴くのは雌を求めてであるが、飛行機などに驚いて鳴くこともあるようだ。ウクライナ語に訳された岸田首相の言葉の中味を知るべくもないが、雉の切実な鳴き声は届いたのだろうか。



アムゼルと同じテノール亀鳴けり      大津留直


 アムゼルはドイツでよく見られる野鳥。辞書にクロウタドリという訳があるが、黒いツグミのことでくちばしが黄色い。その鳴き声がどのようだったか思い出せないが、作者によればテノールを思わせるいい声なのだろう。しかしここは日本。作者は遠きドイツを思いつつ「亀鳴けり」としたのであろう。ちなみにビートルズのホワイト・アルバムにあった「ブラック・バード」はアムゼルのことだそうだ。曲の終わりに鳥の鳴き声が入っていたのを思い出した。



田楽の串の無骨をぐいと引く        松尾紘子


 田楽に差し込まれている串に注目した希有な句。その串の野趣を「無骨」とした表現に感心した。「無骨」といえば、洗練されていないとか、その場にそぐわないと言った意味で使われることが多いが、同時にもののふの荒々しさ、逞しさも感じられる。それは「無骨」を「武骨」とも書くからであろう。まさに串の「無骨」をぐいと引くことで田楽の味わいがさらに深まるように思う。



理由ありの桃缶ひとつ朧の夜        岩永靜代


 普段「理由ありりんご」を買うことが多いが、安いからという「理由」だけでなく、りんごの傷に生産者の苦労や、自然の営みを感じということもあるように思う。掲句の「理由ありの桃缶」には、どこか甘みだけではない人生の複雑な味わいが感じられる。かといってそれをくどくど詮索するのも無粋である。だからこそそれを味わうのにふさわしい「朧の夜」なのであろう。



花きぶし木霊の揺らす伝言板        平林佳子


 きぶしは「五倍子」と書き、ヌルデの若葉にアブラムシが付いて瘤状になったものを言うようだ。花きぶしは山野に自生する黄色のヌルデの花で、藤の花のように穂状に垂れ下がる。それが山の斜面をおおう景色は壮観であろうが、筆者は実際に見たことはない。いや見ているかもしれないが、掲句に出会うまでは知らなかった。句は木霊が伝言板を揺らしているという象徴的な表現となっており、それが何を意味するのかにわかには分からない。ギリシア神話では木霊はニンフの一人エコーで、おしゃべりの罰として自分からは発言できず、他人の発言に答えることしかできなくなったとある。つまり木霊は誰かの発信を伝える伝言板そのものであるとも言える。とすると「木霊の揺らす」は木霊が自分自身の本当の思いを伝えられないつらさなのかもしれない。花きぶしは自らのどんな思いを誰に伝えようとしているのだろうか。



海へ戸を開け放ちてや雛まつり       五島高資


 雛まつりというと、女の子の祭りであることに加え、室内のイメージである。それを海の見える戸を開け放つとしたところに逆説的な開放感と未来への積極性を感じる。たしかに雛流しなどの行事もあり、雛が川や海に流される伝統行事のことも思い浮かぶが、この句にはそのような裏の意味は感じられない。それではこの句にふさわしい雛人形や雛飾はどんなものだったのだろう。それがすぐには思い浮かばないのだが、ある意味でその空白こそが何かを語っているのかもしれない。



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  「俳句スクエア集」2023年 4月号鑑賞 Ⅱ

                   

                         和久井幹雄





樽洗ふ春光に頭を突込んで         石母田星人


 この場合の樽は色々想像できるが味噌樽であろうか。「頭(づ)を突込んで」の措辞から仕込み前の入念な作業の様子が窺える。樽ではなく、きらきらとした春光に頭を突込むという表現は意表を衝いており詩情ゆたかである。



猫の子に早も序列のありぬべし       朝吹英和


 猫は一回のお産で3~5匹程度の子を産むという。2匹ならば「序列」と云わずに「優劣」となるのであろう。「序列」という人間社会の言葉を借りて、生きとし生けるものの「業」の様なものを感じさせる一句である。



春の星沁みこんでゐる地下水脈       松本龍子


 静岡県にある柿田川湧水群は、富士山に降った雨や雪解け水が地下に沁み込んで20年以上の歳月を経て湧き水となって地上に現れるそうである。目に見えずに脈々と流れ続ける地下水脈と、しっとりとした余情溢れる「春の星」との対比が際立っている。



つばくらめ飛鳥の青き野に畔に       於保淳子


 4月に俳句仲間と奈良に吟行に出掛けた。東京ではあまり見かけなくなった燕が自在に飛んでおり、特に低く飛ぶ姿が印象的であった。飛鳥という地名を受ける下五の「野に畔に」のリフレーンに実感が籠っている。


 

海へ戸を開け放ちてや雛まつり       五島高資


 以前、伊豆の稲取に吊るし雛を見に行ったことがあるが、町の展示会場の一つに海に面した場所もあったのを覚えている。雛人形は家の奥まったところに飾るのが一般的であるが、上五・中七のあっけらかんとした開放感と雛祭りの取り合わせは斬新であり、海という遠景は未来へとつながっている。






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  「俳句スクエア集」2023年  4月号 好句選

                   

                         五島高資




樽洗ふ春光に頭を突込んで         石母田星人



雉鳴くや戦火の坩堝滾りをり        朝吹英和



またひとつふゆる泪か春の星        松本龍子



眼にあふれ声にこぼるる桜かな       加藤直克



ひとはみなどこかに痛み花簪        大津留直



うぐひす餠の胸のあたりを指で押す     干野風来子



田楽の串の無骨をぐいと引く        松尾紘子



破風に張る火伏せの懸魚や梅の花      和久井幹雄



これやこの人を創りし春の塵        眞矢ひろみ



春先の草の根っこの力かな         石田桃江 

  




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