「俳句スクエア集」2023年 1月号鑑賞 Ⅰ

                   

                         朝吹英和





甲斐犬は人になつかず山眠る        和久井幹雄


 気性の荒い甲斐犬は見知らぬ人や動物には警戒心が強いものの、信頼する飼い主には甘える二面性があると聞く。甲州の山峡に響く甲斐犬の吠え声と静かに眠る山々との対比が奏功している。



月よりの使者来たるらし氷面鏡       岩永靜代


 まるで鏡の面のように凍り付いた池や湖が月光に照らされて鎮もる静謐な光景が想起される。そうした沈黙の支配する幻想的な時空に月からの使者が降り立ったとするロマンと詩情。



手に受くは雪のひとひら山便り       於保淳子


 降り始める雪には何かのメッセージが託されているような気がする。雪催の空からチラチラと舞い降りて来た雪の結晶を手に受けた時に遠く離れた雪国からのメッセージを受信したのであろうか。



数え日や空気の芯が引き締まる       児玉硝子


 肌を刺す冬の寒気を「空気の芯が引き締まる」と表現した所に実感が籠っている。12月も残り僅かとなった「数え日」ともなれば身も心も引き締まるものである。



冬景色風の奏でるシベリウス        平林佳子


 一読、北欧の森や湖の光景が目に浮かんだ。交響詩「フィンランディア」や「交響曲第2番」等で有名なフィンランドを代表する作曲家であるシベリウスの自然と交感するような音楽はまるでそよぐ風から生まれているようである。



消えながらけむりいや立つ鬼火かな     五島高資


 正体不明の怪しい光である鬼火は、死せる人間や動物の霊魂や取り分け怨念が火となって燃え盛るものとされる。左様な鬼火が消えかかりながら盛んに煙を出していると言う措辞から不気味な怨念の強さが感知される。








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  「俳句スクエア集」2023年  1月号鑑賞 Ⅱ

                   

                         松本龍子




地球から降りられなくて海鼠突く   石母田星人


 一読、「諦観と微かな叫び」を感じる。<海鼠突く>を実景と解釈すれば、海底に棲む<海鼠>を食用のために突いているということだろう。<地球から降りられなくて>とは何か。<降りられなくて>とは「降りるべき方法」がない。結局、死を待つしかないという句意だろうか。「空虚感」と同時に、人間の魂の奥にある「底知れぬ深淵」に戦慄する作者が見えてくる。



うしろ手に閉めて残心白障子     松尾紘子


 一読、ほんのりした「艶」を感じる。<白障子>は主として明かり障子のこと。柔らかい光線の加減は日本人の座敷文化の中核といえる。<うしろ手に閉めて残心>とは何か。言葉通り解釈すると、障子をうしろ手に閉めながら心が途切れず注意を払い余韻を残すという句意だろうか。作者は閉めた<白障子>の部屋にいる人間との「震える時間」を反芻しているのだろう。



月よりの使者来たるらし氷面鏡    岩永静代


 一読、「霊妙な空気感」を感じる。<氷面鏡>は気温が下がり水が固体状になった表面に、物影が映り鏡のように見えるもの。<月よりの使者>とは久米正雄の小説作品、同名主題歌のタイトルだが、タイトル名を引用しただけで「月の光」が来ているように感じたという句意。<氷面鏡>を見た瞬間に自己がなくなり、無心に「共振」しているということだろう。



信号の明滅沁みて寒に入る      生田亜々子


 一読、「静寂の時間」を感じる。<寒に入る>は一年のうちでいちばん寒さがきびしい時期に入る日。一月六日ごろから節分までの約三十日間を寒という。<信号の明滅沁みて>とは何か。信号の光が明るくなったり暗くなったりすることで痛みを感じること。厳冬に耐える作者の心象風景が<信号の明滅>に象徴されているのだろう。



シリウスの廻りて冥し心地池     五島高資

   

 一読、「諦観」を感じる。<シリウス>は冬の夜空で最も美しい。全天で一番明るい恒星で太陽系から一難近く、八・七光年の位置にある天狼星。<心地池>とは「心」の字をかたどった池。<廻りて冥し>は<心地池>が暗くて見えにくいという句意だろうか。「人間の魂」は同じ過ちを繰り返し、一向に暗闇の中から抜け出せない。人間はどこから生まれどこへ死んでいくのか。星は眼で見ることが出来る「永劫」。しかし人間は死ぬことで一元素に還り、永遠に循環する存在になる。つまり「永劫」から生まれて「永劫」に還る存在ではないだろうか。






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  「俳句スクエア集」2023年  1月号 好句選

                   

                         五島高資




大仏の前傾思ふ湯冷かな          石母田星人



三日はやのっぺらぼうに出逢ひけり     朝吹英和



湯たんぽの身の置きどころ定まらず     加藤直克



古傷を消し去るやうに梅探る        松本龍子



回転寿司無言の客に淑気満つ        服部一彦



たましひの時によろこぶ石蕗日和      松尾紘子



マスク三年面壁九年もありぬべし      和久井幹雄



昼の日が嘘の暗さや冬薔薇         菊池宇鷹



三日月の形の耳を立て時雨         児玉硝子



氏神へ先ず初歩きたしかなり        石田桃江








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