「俳句スクエア集」2022年 5月号鑑賞 Ⅰ
朝吹英和
辿り来し道はいずこへ青葉闇 加藤直克
来し方を回想し行く末に思いを馳せる時、ひとは物思いに耽ったり未来への希望に燃えたりするが、掲句では下五の「青葉闇」の不気味な世界の抑えが奏功している。夏のエネルギーが強く鬱蒼と生い茂った分半端ない木下闇の深さの中での喪失感が感知される。
蛇穴を出で錫杖の環を怖づ 和久井幹雄
遊行僧が携行する錫杖には煩悩を払い智慧を授かる効果の他に獣や毒蛇などから身を護る効果もあると聞く。冬眠から覚めて穴を出た蛇が錫杖の響きに怖れをなしたという擬人化が奏功しており諧謔味がある。
煩悩を啄むやうにきぎす鳴く 干野風来子
繁殖期にメスを求めるオスのケーンケーンと鋭く甲高い雉の鳴き声は「桃太郎」などの民話にも登場しているが、打ち出しの「煩悩を啄む」の措辞から雉の鳴き声によって我が身の煩悩も少し軽くなったように感じた。
三月尽引越し準備しとんしゃあ 生田亜々子
語感がソフトで愛嬌のある博多弁は方言の一番人気にランクされているという。「三月尽」から「引越し準備」への展開はごく普通の状況にも拘わらず、下五の「しとんしゃあ」(しているの意味)の口語によって諧謔味が感じられる。
天空はゆかいゆかいと揚雲雀 石田桃江
大空を自由自在に飛翔することは人間の夢である。春の野原を我が物顔で空高く急上昇したかと思うと急降下する雲雀に出逢うと羨ましくも心和むもの。中七の「ゆかいゆかいと」の表現が柔らかな春の空気感を醸し出しており効果的である。
銃口に挿すべしミモザ花盛り 五島高資
ミモザの花言葉は「感謝」や「友情」と聞く。ロシアによるウクライナ侵攻によって将来のある子供を含む無辜の民間人の犠牲者だけが増え、独裁者の暴走を阻止し得ない虚しさの中で掲句の花盛りの黄色いミモザが鮮明であり、戦争終結への作者の思いを増幅させている。
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「俳句スクエア集」2022年 5月号鑑賞 Ⅱ
松本龍子
次々と猿の横切る朧月 石母田星人
一読、「前世の記憶」を感じる。<朧月>は大気中の水分が増加して万物が霞んで見える春の月。<次々と猿が横切る>とは何か。木々の間を数匹の猿が軽々と横切っているということだろうか。作者は薄絹に隔てられたような柔らかい<朧月>を眺めることで、無意識の階段を降りて幼い頃のジャングルジムと向き合い、古代の直立する前の五億年の「遥かな生命記憶」にある仲間の声を聴いているのだろう。その瞬間にしか生まれない一回性の句。
藪から棒に驚く青蜥蜴 朝吹英和
一読、「句材の意外性」を感じる。<青蜥蜴>は肌に光沢があり、青や緑の縞模様がある。夏になると動き回り、虫や蜘蛛などを捕食するトカゲ亜目に属する爬虫類の総称。<藪から棒に驚く>とは何か。雑草が密生して見通しがきかない所から、思いもかけない棒が突き出されてくる。つまり出し抜けに起こる何かに驚いているという句意。手垢のついた言葉「諺」の中に季語とのアナロジーを発見することで、「まなざしの原点」を掬い上げている。
春ショール象亡き象舎見て帰る 和久井幹雄
一読、「モチーフの新鮮さ」を感じる。<春ショール>は春先の寒さをしのぐために肩や首掛けで春の雰囲気を楽しむ。薄手のウールや絹を素材に最近はイタリア人のように男性もお洒落に着こなしている。<象亡き象舎見て帰る>とは何か。子供の頃大好きだった、亡くなったばかりの象の象舎を見て帰ったという句意だろうか。おそらく作者は初めて象を見た「衝撃」とともに、<春ショール>を巻いていた「母の笑顔」と季感を想い出したのではなかろうか。
にんげんに蛍のかたちの命あり 阪野基道
一読、「まことの光」を感じる。<蛍のかたち>とは何か。蛍は古来より散文にも俳諧にも〈恋愛〉の対象として詠まれてきた。掲出句を読むと<蛍>の光が<にんげん>の皮膚から透けて見える光芒が浮かんでくる。要するに<にんげん>には<蛍>の明滅のように人の「本能」に光を灯す魂がある。つまり「愛の交信」を受ける<蛍のかたち>があるということなのだろうか。
銃口に挿すべしミモザ花盛り 五島高資
一読、「魂の祈り」が聴こえる。<ミモザ花盛り>とはマメ科ネムノキ亜科の常緑高木で、「愛と幸福を呼ぶ」といわれるミモザの花が咲きそろう季節は2~4月頃である。<銃口に挿すべし>とは何か。武器を象徴した<銃口>にミモザを挿さなければならないという句意。句の内容に切迫感を感じるのは「べし」という強い断定のせいだろう。作者は現状の「ウクライナ侵攻」に心を痛めている。迫りくる「世界の危機」「分断化」に対して<ミモザ花盛り>が「希望の光」となるようにとの願いが、一句の響きに表れている。
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Copyright (C) Takatoshi Gotoh 1998.3.1