「俳句スクエア集」2021年 12月号鑑賞 Ⅰ

                   

                         朝吹英和





かむなぎの鈴の連れくる北颪             石母田星人



 神社の参拝時に鳴らす鈴も神楽舞などで巫女の鳴らす鈴も邪気を祓い、神霊を呼ぶ働きがあると言う。澄んだ鈴の響きの力によって冬の到来を告げる北颪も遥々北の国からやって来た。自然の力にも作用する霊験あらたかな鈴の音である。





マスクより白し心のディスタンス           加藤直克



 長引くコロナ禍にあって人の集まる場所ではマスクを着用してソーシャル・ディスタンスの確保が求められる。掲句にあっては「心のディスタンス」の措辞によって疎遠となった人間関係が示唆されている。「マスクより白し」の打ち出しが切ない。





晩秋の眠るピアノとテディベア            児玉硝子



 最早演奏するひともいなくなって置き去りにされたピアノであろうか。所在なげにピアノの脇に置かれたテディベアとの取り合わせ。もしかして嫁いで家を離れた娘への思いなのか、晩秋の哀愁に満ちた時空が感じられた。





そこまでがちちろそこから夢の鈴           眞矢ひろみ



 秋の夜に鳴くコオロギの声に耳を傾け物思いに耽っていると何時しか睡魔に襲われて現実の世界から離脱して行く。「そこまで」と「そこから」の表現も虚実皮膜の微妙な境界を暗示しており「夢の鈴」の抑えが効果的である。マーラーの交響曲第4番の冒頭に鳴らされる鈴も聴く者を瞬時に夢幻の世界へと誘う。





夕すすき小惑星の迫り来る              五島高資



 宇宙空間に存在する80万にも及ぶ小惑星の中で地球に近いものを観測するプログラムが米国NASAにあると言う。地球の軌道に接近して衝突するリスクを計算しているとの事。星空を眺めながら広大な宇宙への思いを巡らせるひと時、風に揺れる芒の姿に宇宙との合一感を感知した。






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  「俳句スクエア集」2021年 12月号鑑賞 Ⅱ

                   

                         松本龍子




山茶花散る果ては地声となつて散る     石母田星人



 一読、「発想の意外性」を感じる。<果ては地声となって散る>とは何か。人の最期は大きく息を吐ききって亡くなるという。<山茶花>は花弁を一枚ずつ落としながら、ひっそりと土に還るその時、花弁の微かな溜息は<地声>となって息を引き取るという句意。背景の緑の葉から地上へ、白い花弁の「最後の旅」がしみじみと心に沁みてくる。上五と下五がリフレインすることで花弁の揺れ落ちる「動き・リズム」を連想させて巧みだ。





雪虫のむくろは雪となりにけり     干野風来子


 

 一読、「生命の循環」を感じる。早春の北国で、雪の上にわくワタアブラムシ科の昆虫の死んだ体がそのまま<雪>になってしまったことよ、という句意。写生句かどうかはともかく、作者の<雪虫>に対する「驚き」の心持ちが伝わってくる。<雪>を凝視している時間を想像すると、作者自身が病室の窓から空を見上げて無数の<雪の粒>が身をよじりながら舞っていた「記憶」なのかもしれない。





十二月水ためらいて海に入る     服部一彦



 一読、「水の循環」を感じる。<十二月>は一年最後の月。川の水がぐずぐずとためらいながら海にそっと入っているという句意。岩陰の一滴がやがてせせらぎになり、行く雲を溶かし込みながら、最終的に海に到達する。その「分水嶺」として、川の水がまるで人間が水風呂につかる瞬間のように海水になるということなのだろう。芭蕉、ヘラクレイトス、鴨長明にも通じる思想を感じさせながら、肉体化した言葉<ためらひて>の「ひねり」によって、季語が「詩語」に昇華している。






ベッドに臥せる葵上や三島の忌     和久井幹雄



 一読、「救いなき死」を感じる。<三島の忌>は十一月二十五日、小説家の三島由紀夫の忌日。<べッドに臥せる葵上や>とは何か。基本的な文体の型だが、三島由紀夫の戯曲『葵上」のラストシーン、ベッドに眠る「葵の死」はまるで<三島の忌>のようだという句意。無意識を否定して、すべて自我で統御出来ると考えた三島は、「成熟はほとんど自殺と同じほどのエネルギーを詩人に要求する」と喝破した。「生の否定」がもたらす「葵の死」は<三島の忌>を象徴しているということだろう。





蔦燃ゆる己の蔓に絡まりて     五島高資



 一読、永遠の「生命の火」を感じる。言葉のままに解釈すれば自分自身の蔓に巻き付いて離れない状態で、石垣に這い登り蔦が燃えるように紅葉しているという句意。「生きる実感」は自分という<蔓>を燃やしながら、それを導火線として「焔の乱舞」を見た瞬間にこそ起こるのだろう。





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  「俳句スクエア集」2021年 12月号鑑賞 Ⅲ

                   

                         五島高資





マスクより白し心のディスタンス      加藤直克



 新型コロナウイルス感染症の世界的蔓延で、これまでの地域社会の在り方が大きく変貌してしまった。今では仕事中はもちろん、外出時もマスクを付けるのが当然となってしまった。また、対面交流が乏しくなり、人間関係も疎遠となっている。つまり、コロナ禍における人間疎外における心と心の分断が詠まれている。そうした人間疎外の悲しみが、具象性のあるマスクの白さに覗われる。もっとも、マスクを使うのはあくまでも人間の心である。いずれにせよ、目には見えないウイルスによる世界的な意識の一大変革がもたらされつつある。





狼に見つめられたる冬銀河         松本龍子



 実景ではなかろう。少なくとも日本ではない。それにしても、「見つめる」というのだから、狼にとって冬銀河に何らかの思い入れが秘められているのかもしれない。もっとも、地球も天体であり、ビッグバン理論によれば、気の遠くなるくらいの長い年月を要するとはいえ、狼も、そして私たち人間も星の欠片で出来ている。そう考えると、問題は、そこに意識(様々なレベル)があるかどうかである。掲句には、サムシング・グレートの視点が感じられる。おそらく、そこは、季感文芸に執着する花鳥諷詠の世界とは別乾坤である。





釘箱に紛るる小鈴霜の夜          松尾紘子



 おそらく、しばらく探しても見つからなかった小鈴を探し当てたのであろう。雑多なものが犇めいている釘箱にそれを発見したときの作者の心の機微が見えてくる。拾い上げた懐かしの小鈴の音も幽かに聞こえてくる。しんしんと冷え込んで万物が蕭条とした霜の夜ならなおさらである。








 


  


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