「俳句スクエア集」2021年 8月号鑑賞 Ⅰ

                   

                         朝吹英和




枝先に火星と話す蝸牛               石母田星人


 木の間越しに火星を眺めていた所、木の枝先に蝸牛の姿を見つけた。恰も蝸牛が火星との会話を楽しんでいるように思えたのであろう。作者と蝸牛との会話も聞こえてくるような気がする楽しい一句である。



狛犬の耳から上がる天の川             松本龍子


 爆心地にあった広島護國神社は原爆により社殿は倒壊したものの青銅製の狛犬や石の鳥居等は奇跡的に倒壊を免れた。先日放映されたテレビ番組でその狛犬が紹介されていたが正に守護神としての狛犬の鋭い眼光と威儀を正した姿に感銘した。銀河を仰ぐ掲句の狛犬にも矜恃を感じる。



卓袱台に残る水の輪夏休み             眞矢ひろみ


 懐かしい木製の「卓袱台」から映画「三丁目の夕日」が想起された。家族団欒の中心である卓袱台には子供たちが飲み物を零したコップの底の跡が「水の輪」のように残っている。夏休みのひと時、昔を思い出しながら会話している親子の姿が目に浮かんだ。



香水の瓶に妖精棲まはせて             平林佳子


 香水の効能は体臭を消す事や自分で香りを楽しむ事など様々であるが、異性を惹き付ける戦略的な効果も大きいのであろう。香水の瓶に妖精を飼っているという発想がロマンチックで、妖精の活躍ぶりを想像する楽しみを読み手に与えてくれる。



捕虫網の風切って行く垣根越し           於保淳子


 我が家の垣根越しに元気な子供たちが捕虫網を振りかざして獲物を追って走っていった。子供の姿は見えないものの、歓声や風を切って走り去る捕虫網の勢いに夏の精気を感知する。



足首に砂ながれ去る夏怒濤             五島高資


 怒濤の押し寄せる海岸に立って沖合を眺めていると足元を勢い良く沖に向かう引き波の力を感じる。海岸の砂混じりの引き波に自然の力を実感すると共に、繰り返し押し寄せる夏怒濤の響きに「遥かに過ぎ去るもの」への感懐もまた想起される。






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  「俳句スクエア集」2021年 8月号鑑賞 Ⅱ

                   

                         松本龍子




枝先に火星と話す蝸牛        石母田星人      


 一読、「発想の意外性」を感じる。<蝸牛>は陸産の巻貝。枝先にまるで<火星>と交信するように角を伸ばしている<蝸牛>がいるという句意。<蝸牛>と<火星>との間には「距離の遠さと飛躍」の断絶があるために、常識的には結合出来ない。しかし作者は<蝸牛>の角に、いかにも宇宙人のような不思議な形と雰囲気を発見し、それを中七の<火星と話す>と表現することで「震える時間」を創出している。



力なく垂れし五輪旗大西日      朝吹英和          


 一読、「希望の喪失」を感じる。<力なく垂れし五輪旗>とは何か。景気浮揚策としての東京五輪は失敗した。商業主義化と選挙対策のために「コロナ禍の大反対」の中で強行された無観客開催。それに忖度した事務総長の予算縮小と大会コンセプトの不明確化(復興五輪からTogetherへ)。運営現場のリークと内輪揉めによって、結局ディレクション不在の残念な開会式・閉会式に終わった。同じように「道路建設大反対」の中で行われた前回の東京五輪は、小学生だった我々に「未来の日本」に希望を与え、国際社会への復帰、インフラ整備を含めた戦後の高度経済成長につながった。国民の命よりも優先させた東京五輪は巨額の経費、都市の負担、商業化による利権と硬直した運営、想定外のコロナ禍開催の危機管理、平和の祭典の意義という課題を露呈した。次の世代に「語り継ぐ希望」を示すためには、誰も責任を取らないコンセプトではなく、前回の田畑政治氏のような卓越した「熱意と決断」のある総合プロデューサーがやはり必要なのだ。作者の諦観の眼差しは、令和日本が未だに想定外の変化、突然の危機的状況への組織の脆弱さは「あの時」と全く変わっていないことを見抜いている。それは巨額の経費負担だけが残された「未来の日本」「国民統合」「五輪本来の意味」の崩壊を<大西日>に象徴させていることで明白だろう。



数式の明るく解ける海の日よ     児玉硝子


 一読、「発想の意外性」を感じる。<海の日>は7月20日。海の記念日。<数式の明るく解ける>とは何か。おそらく夏休み入り、数学の宿題の数式が意外にもすらすらと解けたという句意だろうか。単なる客観写生ではなく、季語<海の日>の「季節感」を押さえながら、作者個人の「気分」を巧く掬い取っている。



誰もゐぬ日本列島原爆忌       大津留直


 一読、「底知れぬ不安」を感じる。<原爆忌>は昭和20年8月6日広島に、8月9日に長崎に世界最初の原子爆弾が投下された忌日。<誰もゐぬ日本列島>とは何か。死者数は長崎18万2601人、広島31万9186人。いまだに数は増加している。それにもかかわらず世界には現在9か国で1万4525基の核兵器が所有されている。1962年キューバに核ミサイルが運び込まれて「核戦争」の直前までいったのは記憶に新しい。作者のメッセージと死者たちの遺言は、この世界から「原発とエネルギー出力装置」を取り外してほしいということだろう。



足首に砂ながれ去る夏怒涛      五島高資


 一読、「詩情」を感じる。<夏怒涛>は炎天下に紺碧と輝く海から、白い波頭を立て海岸に打ち寄せる「波」のこと。

<足首に砂ながれ去る>とは何か。波打ち際の水と砂が足首に纏わり付きながら足を引きさらうような、心もとない感覚。

かすかな快感とそこはかとない不安が一体となった「心もとなさの感覚」というところだろうか。これは夏休みに少年の誰もが体感した「危うい感覚」だろう。おそらくそれは海の波のリズムの中に、「宇宙のリズム」と共に生きてきた人間の「生命進化の記憶」が刻まれているからなのだろう。




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  「俳句スクエア集」2021年 8月号鑑賞 Ⅲ

                   

                         五島高資




青空の上は漆黒蝶涼し           石母田星人

 

 昼間の空は青く明るいが、それは太陽の光を大気が散乱させているからである。大気圏外では、それがないから光そのものを直に見ることはできない。つまり、暗黒の世界ということになる。空の上にはまさに「漆黒」が広がっているのである。ひらひらと青空に舞い上がる蝶にはそんなことはどうでも良い。その無邪気さに涼しさが増す。



物言わぬ仏煙たき残暑かな         服部一彦


 この仏は石仏であろうか。あるいはご位牌であろうか。前者では、野を焼く煙、後者では、線香などが思い浮かばれる。いずれにしても、「仏」は煙たがっている。いや、そう作者が感じたのである。死にそうに暑い残暑なのであろう。



不確かな日々のいとなみ蓮の花       干野風来子


 何気なく日常茶飯は過ぎていくようだが、ふと気づけば、様々なご縁によって生かされていることに有り難さを思う。作者は、蓮の花の精緻な姿に人智を超えた確かな存在をそこに感じたのかもしれない。蓮の花とはそうした力を持っている。


 


  


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