「俳句スクエア集」2021年 7月号鑑賞 Ⅰ

                   

                         朝吹英和




月蝕やほたるぶくろに咀嚼音            石母田星人


 月蝕の夜、螢袋から聞こえて来た咀嚼音とは何か。幻想的かつ怪奇的な世界が想起され、読み手に様々な想像や物語が広がる喚起力に溢れた一句である。



マーラーの五番の滾る夏館             和久井幹雄


 ヴィスコンティ監督の映画『ベニスに死す』のテーマ音楽として有名となったマーラーの交響曲第5番の旋律(第4楽章/アダージェット)は甘美な思い出に包まれ、何処か退廃的な雰囲気をも内包する夏館に相応しい。同曲を得意としたカラヤンの演奏は蕩けそうな甘美の極致。



六月のZOOM疲れの穴にいる             児玉硝子


 コロナ禍で一躍脚光を浴びたZOOMを利用した会議や懇親会などは便利な反面、度重なると気が疲れるもの。映像越しとはいえ常に監視されているような気分になるものである。梅雨とZOOM疲れの鬱陶しい気分を「穴にいる」の措辞が上手く表現している。



夕立の森にブラックホールかな            於保淳子


 奥深い森を襲った雷鳴を伴った激しい夕立に打たれる景が想起された。底知れぬ不気味なエネルギーを秘めたブラックホールは虚構の淵や四次元の入口に潜在しているのかも知れぬ。



雷や古墳は座礁してゐたり              五島高資


 「座礁している古墳」とのユニークな表現、擬人法が奏功している。古墳の中に封じ込められた時空は今尚生き続けているのであろう。そうした太古からの記憶の堆積を覚醒する雷鳴の存在が鮮烈な一句である。






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  「俳句スクエア集」2021年 7月号鑑賞 Ⅱ

                   

                         松本龍子




月蝕やほたるぶくろに咀嚼音            石母田星人      


 一読、「発想の意外性」を感じる。通常上五には季語・季物がくるものだが掲句の場合、<月食>という旬のモチーフが置かれていて新鮮だ。地球が太陽と月の間に入り、地球の影が月にかかることによって月が欠けてしまったことを擬人的に<咀嚼音>として捉えたということだろう。地上に咲く<ほたるぶくろ>の中で月を齧る「宇宙の音」が聴こえるとは何とスケールの大きな着想だろうか。



枇杷食べて亡き母の眼がそこにあり     加藤直克          


 一読、感覚の「新鮮さ」を感じる。<枇杷>は夏に実った果肉は水気が多く、甘い。<亡き母の眼がそこにあり>とは何か。久しぶりに枇杷の実を剝いて食べると、中から焦げ茶色の種が出てきた。それを眺めているとふと<亡き母の眼>を思い浮かべたという句意だろうか。掲出句には「枇杷の種」についてはひとつも書かれていないが、一読後もっとも目に浮かぶのは、潤んだ「枇杷の種」である。その中に在りし日の「母の瞳」、面影を観たということだろう。



煩悩をぼんやりたたむ端居かな       干野風来子


 一読、「震える時間」を感じる。<端居>は夏の暑さを避けて縁側などで寛ぐこと。<煩悩をぼんやりたたむ>とは何か。悩みや不安を生む<煩悩>を縁側で時間をかけてゆっくり減らしているという句意だろうか。なるほど昭和の人々は現代の令和時代のように、神経症的にストレスを抱え、時間に追われることもなく、近隣のコミュニティと会話を楽しみながら「整った心」で生きていた。作者は縁側に身を置くことで「雑念の世界」から「内的自然=身体性」を取り戻しているのだろう。



夕立の森にブラックホールかな        於保淳子


 一読、「感覚の新鮮さ」と「発想の意外性」を感じる。<ブラックホール>とは何か。この宇宙で最も速い光でさえも脱出できないほど重力が強いとされる天体のこと。光では観測することができず、宇宙に空いた「黒い穴」のように見えるらしい。2019年4月に直接撮影に成功したが、画像を見るとオレンジ色で示されたリングの中にぽっかりと「黒い穴」が空いているように見える。おそらく作者は雷を伴って短時間に降る雨の森に、このような現象を幻想したということだろう。



雷や古墳は座礁してゐたり          五島高資


 一読、「発想の意外性」を感じる。<古墳>とは何か。3世紀後半から7世紀にかけて築造された墳丘をもつ墓。この墓がまるで船が暗礁に乗り上げているという句意だろうか。そこに積乱雲によって生ずる空中の放電現象である<雷>を冠することによって、暗闇の中に漂う船が見えてくる。季語が見事に活かされているが、<古墳>が「泥船」と解釈すれば、コロナ禍の日本の現状を暗喩しているのかもしれない。「パリ・コミューン」の挫折体験を歌ったとされるアルチュール・ランボー『酔いどれ船』の「生命へのオマージュ」を思い浮かべた。




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  「俳句スクエア集」2021年 7月号鑑賞 Ⅲ

                   

                         五島高資




園児らの声の渦巻き立葵          服部一彦

 

 新型コロナウイルス感染症による自粛によって、私たちの生活は大きく一変した。街から賑わいが消え、学校や幼稚園から笑い声が無くなった。マスクなどつけずに、庭で大声ではしゃぎぐ子供達の姿はいつ戻ってくるのだろうか。立葵の凜とした姿に開く花は螺旋を描きながら天に向かっているようでもある。その花言葉は「ambition(大望、野心)」「fruitfulness(豊かな実り)」。



蛍火をまあるく包んでは放つ        松尾紘子


 ルシフェリンという物質にルシフェラーゼとATPが作用して発光していることは分かっていても、その光は幻想的である。和泉式部が「物おもへば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる魂かとぞみる」と詠んで、魂の光と捉えたのも肯ける。その光は触っても熱くなく「冷光」と呼ばれている。手のひらに包まれた蛍の光は、まるで魂のように丸くなって放たれる。小さきものをいたわる作者やさしさが感じられる。



長考の首の垂るるや扇風機         菊池宇鷹


 棋士・藤井聡太を連想させる。うなだれた頭の中では、膨大な場合分けが想定されて、まさにその脳はフル回転しているのだろう。一方、その側にある扇風機も羽を回転させているのだろうけれども、棋士の頭の回転には及ばないように思われる。そのギャップが絶妙に取り合わされていて面白い。


 


  


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