「俳句スクエア集」2021年 5月号鑑賞 Ⅰ

                   

                         朝吹英和




大彗星まねくかたちや滝桜            石母田星人


 福島県三春町の滝桜は樹齢千年を超えるとされ、日本三大桜のひとつであると聞く。写真で見るとまるで滝が流れ落ちるように枝垂れている様子が分かる。大きな彗星を呼び寄せるパワーを秘めた滝桜の樹霊に得心する。



街中の桜が放つ周波数              児玉硝子


 毎年咲く桜を愛で、散り行く桜に様々な思いを抱いてきた時間の流れを振り返る時、桜から発信される周波数に籠められたメッセージには様々なものがある事に気が付いた。日常生活における発見の妙が味わえる。


  

ウィルスの無数のことば霾ぐもり         松本龍子


 猛威を振るう新型コロナウイルスを詠った一句。黄砂によりどんよりと曇った「霾ぐもり」の季語がコロナ感染拡大の収束が見通せない視界不良の現在を象徴している。中七の措辞による擬人化が変異するウイルスの怖ろしさを強調している。



草花の呼びかけてくる遅日かな          眞島裕樹


 様々に咲き乱れる草花に満ち溢れた生命力が実感される。中七の措辞による擬人化が奏功して日暮れの遅い春酣の頃の気分が伝わって来る。草花との交流が実感される至福の時。



いかるがのぽつくり寺の日永かな         和久井幹雄


 法隆寺の近くにある斑鳩の吉田寺(きちでんじ)は「ぽっくり寺」として有名である。平仮名表記により長閑な「ぽっくり寺」に参拝する高齢者達の話し声が聞こえてくるようである。悠久の歴史を体感出来る斑鳩の里では時間の流れも緩やかに感じられるのであろう。



うつし世のゆがんで爆ぜり石鹸玉         五島高資


 平時であれば子供たちの歓声を伴って大空に吸い込まれるように消えて行く石鹸玉も現在のコロナ禍の中「歪んで爆ぜた」とする措辞に疫病の持つ底知れぬ力を感知した。





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  「俳句スクエア集」2021年 5月号鑑賞 Ⅱ

                   

                         松本龍子




硯洗へば響くよ先の銀河まで        石母田星人      


 一読、「詩情」を感じる。<硯洗へば響くよ>とは何か。言葉通りに解釈すれば、硯を洗う水の音が響いているよという句意だろうか。<先の銀河まで>とは<先の>と限定しているからには夜の設定で、水洗いのはるか遠くの先に大河のような星の集まり<銀河>が見えているのだろう。「星のひとかけら」としての作者が<銀河>と共鳴しているようである。



街中の桜が放つ周波数           児玉硝子          


 一読、感覚の「新鮮さ」を感じる。<周波数>とは何か。波動や振動の単位時間当たりの繰り返される回数のことだが、花弁がひっそりと土に帰る、微かな溜息のような声、呼吸のようなものだろうか。その微かな音に作者自身が共振しているのだろう。恐るべき感受性だ。「願はくは花の下にて春死なむ」の西行や山桜と石碑のみの墓に入った本居宣長と同じ心境が見えてくる。



春眠や太古の夢に象が来る         眞矢ひろみ


 一読、「春の歌」が聴こえてくる。<太古の夢に象が来る>とは何か。太古の象だからマンモスだろうか。日本では北海道で多くが発見されている。考古学者のスティーヴン・ミズンが人類は言葉を話す前に歌を歌っていたという説を書いているが、集団歌唱とリズミカルなドラミングと激しいジャンピングで「警告擬態」を行っていたらしい。作者は夜明けになっても、夢の中でマンモスと対峙しながら、集団の古代人に変身して歌を歌っているのだろう。



言ひ残すことなど無きと白牡丹       干野風来子


 一読、「直感的把握」を感じる。<言ひ残すことなど無きと>とは言葉のままに解釈すれば遺言のようなものだろう。この言葉からは白州次郎の「葬式無用、戒名不要」、勝海舟の「これでおしまい」などが浮かぶ。<白牡丹>は気品が高く、凛として楊貴妃などをイメージさせる。おそらく掲句は一瞬一瞬燃えつくして生きてきた作者の自画像なのだろう。



うつし世のゆがんで爆ぜり石鹸玉      五島高資


 一読、「諦観」を感じる。<うつし世のゆがんで爆ぜり>とは現状のコロナ禍の状況を表しているのだろう。コロナが剥き出しにして見せたのは「生の危うさ、悲しみの階層化、家の中のホームレス化」である。<石鹸玉>は石鹸水をストローの先につけて、泡を膨らませる遊びだが、爆ぜることでやっと人類は<石鹸玉>のやうな美しい地球が、実は「ウィルスの惑星」だったのだと気付いたのである。




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