「俳句スクエア集」2021年 2月号鑑賞 Ⅰ
朝吹英和
どの水も輪廻の途中二月来る 服部一彦
地球上の生命は須らく壮大な大気循環の恩恵を受けている。太陽のエネルギーによって起こる大気や水の循環と輪廻転生とのコラボレーション。厳しい寒さの中に立春を迎える「二月来る」の季語の選択は春めく季節の循環する水の態様を表徴している。
二月尽鬼いつぱいの映画館 松本龍子
節分の夜の豆撒きで退治した筈の鬼どもが映画館には群れを成していた。鬼はコロナウイルスとも人気爆発中の「鬼滅の刃」のキャラクターとも読め、正にコロナ禍の最中の現代を風刺した一句である。「二月尽」には歳月の過ぎ去る速さと、コロナ感染拡大にピークアウトの兆しが見えた春近しの感慨が込められているように感じた。
鳥葬の魂のぼりゆく冬銀河 真矢ひろみ
チベット等に現存する伝統的な葬儀方法である鳥葬は読経によって魂が昇天した後は猛禽類などの鳥に遺体を委ねると聞く。寒冷の高地であれば冬の銀河の輝きも一層存在感を増して昇天する魂を見守っているのであろう。
猫の耳ピクンと振れて春立ちぬ 於保淳子
冬の寒い頃に屋内では炬燵や暖かな部屋で、屋外では陽だまり等でじっと動かずにいる猫の耳が何かを感知して動いた。春の気配を敏感に感じ取った猫の生態描写(「ピクンと振れて」の措辞が奏功している)から春の到来が実感される。
乗り降りもなくドア閉まるレノンの忌 五島高資
シンガーソングライターとしてまたオノ・ヨーコと共に平和運動にも従事したジョン・レノンの命日は12月8日である。乗降客のいない停車駅で閉まったドアから人気のない荒涼とした光景が想起され、絶頂期に亡くなったジョン・レノンへの追慕の念が伝わって来る。
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「俳句スクエア集」2021年 2月号鑑賞 Ⅱ
松本龍子
手毬つく大地のこゑのやはらかし 石母田星人
一読、新鮮な「アニミズム」を感じる。鞠は蹴鞠が唐から奈良時代に渡来し、以降は公卿の遊びになる。やがて足から手を使って遊ぶ手毬が生まれ、高く投げ上げ地面に落とさぬように受け止める遊びが、木綿の普及で床面に衝く遊びに変わり少女玩具になったという。掲句を読むと良寛の「この里に手毬つきつつ子供らと遊ぶ春日はくれずともよし」という歌が思い浮かぶ。作者には故郷の大地の「感触」が今でも手に残っているのだろう。
啼きやまぬ仔猫に出会ふ月の道 加藤直克
一読、「見えない泪」を感じる。<啼きやまぬ仔猫に>とは何か。以前ペットで飼育していた仔猫だろうか。<月の道>は満月の時月明かりが海に反射して道のように見える現象のこと。<月の道>を眺める作者の背後から、<仔猫>の別れの「呻き声」が聴こえてきたのかもしれない。宮沢賢治の詩<無声慟哭>がふと浮んでくる。<月の道>から聴こえてくる漣の中に、<仔猫>への愛に気付いた作者がいる。
けん玉のけん先にくる雪女 児玉硝子
一読、「感覚の新鮮さ」を感じる。<けん玉のけん先にくる>とは何か。詩は「謎解き遊び」だが、このイメージの飛躍は面白い。ループする紐の元には剣先があって、そこに<雪女>が現れたというから、何とも意外性がある。おそらく剣先が何かの象徴なのか、それともけん玉が回転して突然剣先が穴に収まる、その動きの中に「アナロジー」を発見したということだろう。「新鮮なカオス」が生まれていて<雪女>への作者の思いが沁み出している。
ヒーローになり切っているマスクかな 菊池宇多鷹
一読、「俳諧味」を感じる。私の世代ではマスクのヒーローと言えば『月光仮面』。放送時間には銭湯から子供が消えたという逸話が残っている、<ヒーローになり切っている>は本来の機能性だけの手段から、まるでファッションのように顔面を覆う主役の<マスク>に対して、作者の諧謔的な意図が感じられる。『月光仮面』は元々「人々を救済する菩薩」からネーミングしたという。主役に成り上がった<マスク>の下から「得体の知れない不安」を抱えた人間が浮かびあがってくる。
乗り降りもなくドア閉まるレノンの忌 五島高資
一読、「永遠の静寂」を感じる。<乗り降りもなくドア閉まる>とは何か。コロナ禍による日常の電車、地下鉄は「空の席」が目立つ。<レノンの忌>は昨年12月8日がジョン・レノンの40回忌。単なる歳時記からの転用ではない、<レノンの忌>という「心の世界」と取り合わされることにより、未知の「震える時間」が生じている。子供の頃からビートルズに衝撃を受けて、洋楽やJPOPに親しんできた読者には「最大の事件」であり、深い「喪失感」だった。レノンの「大丈夫、想像してごらん」という呪文の歌が聴こえてくるようである。
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「俳句スクエア集」2021年 2月号鑑賞 Ⅲ
五島高資
店仕舞う無人スタンド菊余す 服部一彦
たいてい無人のセルフ・ガソリンスタンドは24時間営業なので、掲句の閉店は定時のものではなく、長期の店仕舞いかもしれない。ネット通販はもとより、コンビニエンスストアなども24時間営業は当たり前の時代になって久しい。もっとも、飲食店などはコロナ禍による営業自粛で死活問題となっており、これまで当然のように深夜まで人々が交流してきた生活スタイルは大きく変わりつつある。余った菊の花に心を寄せる素朴な生活が待ち遠しい。
手毬つく大地のこゑのやはらかし 石母田星人
「手毬つく」は新年の季語である。新春のまだ寒い時期にあって、子供達、特に女の子の遊びとして定着したのは江戸時代らしい。冷たい大地であっても、子供達がつく手毬を跳ね返す。その度ごとに手毬と大地が音を発する。その音にかすかな春の兆しを感じ取ればこそ、それは「声」となる。それはまさに子供達の元気と呼応する春の訪れを告げる優しい大地の声なのである。
スペードの女王の瞳冬銀河 朝吹英和
「スペードの女王」からは、アレクサンドル・プーシキン作の小説『スペードの女王』やそれを原作としたチャイコフスキーのオペラ『スペードの女王』を思い出す。賭博での必勝法を知ったゲルマンが最後になって「エース」のはずが、なぜか「スペードの女王」が出て負けてしまう。人間の欲望の深さが女王の瞳に映し出されていたのかもしれない。冬銀河という天為にその謎が隠されているのかもしれない。
薄氷を透かす光のまろみたる 加藤直克
水面に浮かぶ薄氷か。折しも春の温かい陽光がそれを貫いている。もちろん、氷によって光は屈折して、あくまで直進してその中を通るのだろうが、万物が生動し始める時季にあっては、光もやわらかく感じられる。それが「まろみたる」に表現されているのだろう。まさに和光を薄氷に感得したのである。
二月尽鬼いつぱいの映画館 松本龍子
節分もとっくに過ぎた頃であるから、その鬼ではなかろう。劇場版「鬼滅の刃」なども連想するが、そうすると誰の心の中にも潜む「鬼」の存在を思わずにはいられない。「人」と「鬼」の葛藤はまさに私たちの「心」の中で無限に繰り返されているのである。映画館という、幻と現実が交錯する場所ならなおさらである。
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