「俳句スクエア集」2021年 1月号鑑賞 Ⅰ

                   

                         朝吹英和




隼のこゑ聴いてゐる海鼠かな           石母田星人


 空中と海中、俊敏なものと愚鈍なものとの対比、滑稽味のある一句。季重なりは海鼠の詠嘆の切れに掲句の焦点が絞られておりクリアされている。海底でじっとしている海鼠ゆえの擬人法に得心する。



雪折の音闇に充つ月のこゑ            松本龍子


 雪折から受ける情感は静寂の支配する夜に相応しい。闇夜に響く雪折の音と共振するかのように月の声が聞こえたとする幻想的な心象の世界。ドサッと大きな音の雪折に月も覚醒したのであろうか。


  

ポインセチア並びに自動検温器          十河智


 商業施設やコンサート会場等に設置された自動検温器はコロナウイルス感染の禍中では日常風景となってしまった。傍らに置かれたポインセチアの鮮やかな色彩と自動検温器の無機的存在との対比が出口の見えない遣る瀬無い現状を明示している。


  

寒夜更けデズデモーナの死のくだり        生田亜々子


 ヴェルディのオペラ『オテロ』の幕切れ。イヤーゴの姦計によって不貞の疑いを掛けられてしまい夫に殺害されるデズデモーナ。不条理極まりない劇的なカタストロフは大地も凍り付く「寒夜更け」の季感に相応しい。



落日や窓一面の冬木立              於保淳子


 黒々とした冬木立の姿が落日の陽を浴びて存在感を増して迫って来る。窓一面の措辞から病院や学校といった大きな窓の存在が感知される。窓枠を通したインパクトのある映像効果が奏功している。



飴玉を落として洗ふ寒九かな           五島高資


 大寒も近付く寒さの底で落とした飴玉を洗うという動作から痛みを伴う程に冷たい水の感触が伝わって来る。何気ない日常の景に感知した季節感。






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  「俳句スクエア集」2021年 1月号鑑賞 Ⅱ

                   

                         松本龍子




 隼のこゑ聴いてゐる海鼠かな        石母田星人


  一読、「宇宙のリズム」を感じる。季重なりだが、季語の強弱と切れの位置から季題は明確である。一本の管である<海鼠>には何億年も海辺で生きてきた「波打ちのリズム」と太陽系の「天体の運行」が記憶されている。だとすれば、<隼のこゑ>としての呼吸に「共振」しているのは自然なことなのだろう。



 駆け抜ける風の子風邪を置き去りに    朝吹英和


 一読、「鮮度」を感じる。<風の子>とは風の寒さを気にしないで遊ぶ元気な子供という意味だろう。<風邪を置き去りに>とは風邪にもかからず、戸外を<駆け抜ける>光景が読み取れる。平成から令和に入ると、日常的に戸外で遊ぶ子供を見ることはほとんどなくなった。掲句では<風の子風邪を>と韻を踏むことで、跳ね回るようにはしゃぐ子供が見えてくる。おそらく作者の少年時代の回想シーンなのだろう。



ゆらゆらとほぐれて焚火土となり       清波


 一読、「うつろう時間」を感じる。<焚火>を眺めているのは無性に楽しい。<焚火>が<土>に回帰する時間をずっと眺めている作者は、人間もまた同じ「循環」の中に組み込まれている宿命にうっすらと気付き始めているのだろう。本来が「火」からやってきた心弱い人間には<焚火>は深い安心感をもたらす「神」のような存在なのかもしれない。



熟れてゐる無花果へ指見失ふ        菊池宇鷹


 一読、「老いのエロス」を感じる。<無花果>は「エロス」の象徴として良く使用される。掲句の場合は下句<指見失ふ>が曲者で別の象徴性を暗喩しながら、多重空間への創出も促している。下句の前に置かれた<へ>も重層化の切っ掛けを果たしている。マリリン・モンローが寝る時は「シャネルNO5だけ」と答えた言葉が匂うように立ち昇ってくる。



飴玉を落として洗ふ寒九かな         五島高資

       

 一読、「冷気」を感じる。<寒九>とは寒に入って九日目の期間が決まった季語。<飴玉を落として洗ふ>とは何と懐かしい光景だろうか。令和の子供たちにはありえない行為だろうが、昭和の子供にとっては当り前の風景だった。個人的な光景が普遍性に結びつくためには、季語をどう使用するかを教えてくれる一句。罅割れた指が見えてくるようではないか。




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  「俳句スクエア集」2021年 1月号鑑賞 Ⅲ

                   

                     五島高資



駆け抜ける風の子風邪を置き去りに     朝吹英和


 風邪については、平安時代から、その症状で苦しむ人々が記されている。語源については、カゼ症状を引き起こすと考えられた悪霊が吹かせる風である「風邪」に由来するらしい。寒風の中でも元気な子供を「風の子」というが、「風邪」を振り切れるのは無邪気さのせいかもしれない。最近はやりの新型コロナウイルス感染症も早く置き去りにしたいものである。



大北風の磨ききつたる賢治の夜       石母田星人


 宮澤賢治の童話には、夜を背景とした作品に印象深いものが多い。たとえば、『銀河鉄道の夜』『よだかの星』『かしわばやしの夜』『月夜のでんしんばしら』などである。昼間は人工物がよく見えるが、夜間は太古と同じ星空が広がるばかりである。文明の影響を受けることの少ない夜は、時空を超える詩的な感興が得やすいとも言えよう。北風に研ぎ澄まされた夜はまさに賢治の感性をいっそう鋭くさせたであろう。



雪折の音闇に充つ月のこゑ         松本龍子


 竹林だとすると大雪の夜か。いずれにしても樹木が雪の重さに耐えかねてついには折れてしまった。雪の降る夜は静かなだけにいっそう雪折の音が響き渡る。それは月にも届かんばかりの凄さだったのだろう。折れたあたりに差し込む月の光に、木々をいたわる声を聞こえたのかもしれない。その共感覚的な詩境に感銘する。



冬日吸う鯉方寸の小宇宙          清波


 冷たい池のなかで健気に泳ぐ鯉。少しでも日向の水面を選んで浮上し、餌を摂る鯉の口には、日の光も差し込んでいる。「方寸」とは、そうした小さな池のことだけでなく、冬の日の光をも吸い込まんとする鯉そのものをも指しているようだ。太古より冬の寒さを耐え忍んで今日まで生き延びてきた生命と大いなる意志もまた、その心身という小宇宙に包摂されている。



 


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