「俳句スクエア集」2020年 12月号鑑賞 Ⅰ

                   

                         朝吹英和




鉄塔に寄る鳥なしに秋の暮            服部一彦


 晩秋の寂寥感漂う夕暮れ。普段は鉄塔に止まる鳥の姿もなく、無機質な黒ずんだ鉄塔の存在が侘しさを一層増幅させている。



北風や電飾の蟹上下して             松本龍子


 大阪は南の著名な蟹料理店の動く電飾看板が目に浮かぶ。コロナ禍の最中にあっては賑わいも消え営業自粛に追い込まれた繁華街を吹き抜ける北風に抵抗するかのように上下動を繰り返す蟹が哀れを誘う。



風の研ぐ樹氷鋭く星を刺す             大津留直


 寒風によって研ぎ澄まされたかのように鋭利な樹氷林。「星を刺す」の抑えによって屹立する樹氷林のシャープな映像が喚起される。



コロナ禍の釣瓶落しとなりにけり         眞島裕樹


 コロナ禍にあって街中の人出も急減した。人通りの少ない高層ビル街を見る見る内に夕闇に染める落日の速さがコロナに対する不安心理を掻き立てる現代詠である。



みささぎに冬の日の入る常世かな         五島高資


 天皇陵も豪壮な造りのものから簡素なものまで様々であるが、掲句では陵を包む冬日から常世の国への時空転位にロマンがある。神話時代からの万世一系の貴重な皇統を思った。




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  「俳句スクエア集」2020年 12月号鑑賞 Ⅱ

                   

                         松本龍子



 闇いまだ水面に触れず石蕗の花         石母田星人


 一読、「詩情」を感じる。<石蕗の花>は海辺などに自生して、初冬に菊に似た黄色い花をつける。<闇いまだ水面に触れず>とは何か。闇がまだ水面に届いていないということは、夕暮の光がまだ見えているということである。<いまだ>という言葉が時間の経過を強調することで、残照の「うつろう」時間と空間の中に<石蕗の花>が鮮明に見えてきたということだろうか。作者の心象には黄色い<石蕗の花>がまるで地上に浮かぶ「月」のように輝き始めたのだろう。



秋霖に声なき翼消えにけり             服部一彦


 一読、「詩情」を感じる。<秋霖>は秋に蕭条と降る侘しい雨。<声なき翼>とは何か。翼に焦点を当てているからには鵯や鶫などの小鳥ではないだろう。作者はおそらく渡り鳥のような、ある程度翼を広げて飛んでいる鳥の姿を凝視していたのだろう。句の調子には、降りしきる灰色の空を眺めている作者の精神、寂しさが入り交じっているいるように思われる。



底冷えや己も星の欠片なり             眞島裕樹


 一読、「直観的把握」を感じる。<底冷え>はしんしんと冷えこむ寒さ、膚に直接感じる感覚に比重のかかった季語である。<己も星の欠片>とは何か。人間の存在と宇宙が今あるように存在している事実の間には「相似的な関係」、つまり人間の中には「宇宙全体」がそして宇宙の中に人間を人間たらしめる「要素」が反映されているということだ。宮沢賢治という詩人は「青い照明}として自分の生を<星の欠片>として「宇宙」の中の「ひとゆらぎ」として捉えようとしたが、この作者も自分の皮膚の中に<星の欠片>を認識したということだろう。



定点としてテーブルに置くりんご          児玉硝子

       

 一読、「意外性」を感じる。意味だけを読み取れば、定まった位置としてテーブルに置かれたりんごであるという、句意だろうか。しかし、季語<りんご>が単なる歳時記からの転用ではなく、作者の世界からの内側から立ち上がる現象=「浮立」として使用したとすると話が変る。一回性としての<りんご>。梶井基次郎の『檸檬』の世界観だとか、コロナ禍におけるテーブルのパソコンの<アップル>などがイメージされて「朦朧性」を帯びてくる。



傾いてあめつちを知る茸かな            五島高資

       

 一読、「静寂な囁き」を感じる。傾くことで雨や土の存在に気付いた茸であるという、句意だろうか。昨年から六甲山の山登りを始めたが、少し山道をそれると人の手が入らない森は多様で豊饒な恵みがあるのが体と心に沁み込んでくる。苔むした木の根元に数センチにも満たない<茸>が生えている。それが太陽の恩恵で<傾いて>、傘にはずれた茎が雨の水、土の跳ね返りを受ける。作者は自分の足元に「循環の宇宙」が広がっていることを自覚している。だからこそ生まれた「朦朧性」のある秀句なのだろう。



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  「俳句スクエア集」2020年 12月号鑑賞 Ⅲ

                   

                     五島高資



縦にして大魚呑みこむ冬銀河        石母田星人


 銀河は、遠く離れて渦巻く恒星の集団であるが、地球から見ると白く細長い川のように見える。もっとも、全ての目に見えるものは、宇宙のほんの一部であり、その大部分は、質量は持つが、光学的に直接観測できないという暗黒エネルギーや暗黒物質だと推測されている。このことは、掲句における、目に見えない大魚が宇宙に包摂されている詩的直感とも無縁ではあるまい。



実南天いくたび天となりにけり       干野風来子


 赤や白の実をつける南天は、晩秋にあって万象が蕭条とした場景にあってひときわ目立つ。英語では、Sacred bamboo、あるいは Heavenly bambooなどいうが、やはり、洋の東西を問わず天に通ずる聖性を宿しているようである。生々流転の「転」あるいは、難を転ずる「転」もまた順天につながる。



コロナ禍の釣瓶落しとなりにけり      眞島裕樹


 作者は東京で医師として新型コロナウイルス感染症とも闘っている。二度目の緊急事態宣言によって、夜の外出が自粛され、生活スタイルも大きく様変わりした。仕事が終わるころにはすでに日も落ちて暗くなる晩秋の闇もいっそう深く感じられる。まさに「釣瓶落し」がよく利いている。

 


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