「俳句スクエア集」2020年 9月号鑑賞 Ⅰ

                   

                         朝吹英和



黒牛の漆黒となる夕立かな         石母田星人


 昨今の地球温暖化でわが国の気象も亜熱帯の様相を呈しており、全国どこでもゲリラ豪雨や線状降水帯等による猛烈な雨に遭遇するようになった。どっしりした存在感のある黒牛が漆黒に紛れてしまう程の夕立の勢い。



身の内のすき間にひそむ秋の蝶       松本龍子


 夏の盛りには元気よく飛び回っていた蝶も秋の深まりと共にエネルギーを失ったかのように弱弱しくなる。左様な秋蝶が身の内に潜んでいると感じた。「窮鳥懐に入れば・・・」ではないが、作者の優しい心根が感知される。



夜濯の水が海へと帰る音          生田亜々子


 生活感溢れる一句。水の星である地球上における壮大な大気循環に思いを致す。排水も海に帰って再び上昇気流となり、やがては地上に舞い戻る日が来る。全てを受け入れる海の存在が地球の生命を育む源である。



梅雨明けるゴジラが探す踏みどころ     児玉硝子


 掲句に接して、円谷英二監督の怪獣映画『ゴジラ』を小学生の頃鑑賞した時の記憶が蘇った。後年リバイバル上映された時には愛嬌すら感じられるゴジラであるが、当時はゴジラに追われて逃げる群衆の一員としての恐怖を感じた。梅雨明けの明るさによって諧謔味が増した。



退院を明日に控える夕焼かな        菊池宇鷹


 待望の退院の日を翌日に控えた夕暮れ。普段は余り気に掛けない夕焼けの美しさに暫し見惚れている情景が目に浮かぶ。落日は再生への道程であり、健康を取り戻し希望に満ちた朝の到来を予感しつつ退院の喜びを噛み締めている。



帚木と同じ大気を吸ひにけり        五島高資


  枝や茎を干して箒の材料となる箒木。酒肴として珍味の「とんぶり」は箒木の実である。箒木を眺めながら様々な思いに耽るひととき、身近な生命と共に生きている実感がある。




******************************************************************************************************************************************************************************************************************************

 


  「俳句スクエア集」2020年 9月号鑑賞 Ⅱ

                   

                         松本龍子



黒牛の漆黒となる夕立かな         石母田星人


 一読、黒牛に跳ねる「雨音」が聴こえてくる。雷を伴って短時間に激しく雨が降ってきた。黒牛の肌が漆を塗ったように黒くなり艶が出始めているという句意。単なる写生句に見えるが、黒牛の肌の色に焦点を当てることで、肌から立ち昇る湯気、香気、肌に弾く雨が見えてくる。黒の濃淡に気付くのはかなり「美的センス」が必要で、ぼんやり眺めていては発見出来ない。本質に焦点を当てて重要なものだけを残す、「引き算」に成功している。



空蝉を握り虚空へ放ちけり          真矢ひろみ


 一読、「朦朧性」を感じる。<空蝉>は単なる蝉の抜け殻だが、その裂け目から青空に飛び立った「いのちの入れ物」でもある。それを作者がよるべき何物もない空間である<虚空>に解き放ったという句意。読者は子供の頃、川辺で投げた石や捕まえた赤蜻蛉を大空に放つイメージ、紙飛行機を夕焼けに放つイメージが同質の重さで交錯する。多重空間の創出と詩情が生まれている。


 

目の前に孤独の凝固ワインゼリー       硝子


 一読、意外性と鋭い感受性を感じる。可視化された、現実の<ワインゼリー>。不可視の作者自身の<孤独の凝固>。微かに揺れる<ワインゼリー>を眺めていると、一瞬自分自身の<孤独>を感じたという句意だろうか。<ワインゼリー>を季語とみるかどうかは意見が分かれるだろうが、内容に相応しい季語を見つけることは作者自身を表すことなのだろう。


   

始まりの声の確かに法師蝉          於保淳子


 一読、作者独自の「気付き」を感じる。今夜も前庭の<法師蝉>が鳴いている。<始まりの声の>「ジージージルジルツクツクホウシ」。何度聴いても現代ポップスのようにイントロのインパクトで作者を引き込む。作者は<法師蝉>がもたらす響きに思わずチューニングをして交歓しているのだ。「感応」した心に立ち上がる<現象>に季語が巧みに使用されている。



箒木と同じ大気を吸ひにけり        五島高資

       

 一読、「アニミズム」を感じる。箒木はアカザ科箒木属の一年草。夏、黄緑色の小花を穂状につけて、秋に食用になる実をつける。その<箒木と同じ大気を>吸うことで、作者は<箒木>の一部なのだという感覚に包まれていること分かる。それはほんの数分の出来事だろうが、心の底からほっとした。幸福感に満ちた時間なのだろう。生きていることに感謝する作者が見えてくる。




******************************************************************************************************************************************************************************************************************************

        


               「俳句スクエア」トップページ


             Copyright (C) Takatoshi Gotoh 1998.3.1