「俳句スクエア集」2020年 8月号鑑賞 Ⅰ
朝吹英和
梅雨空に電灯の紐ぶら下る 石母田星人
鬱陶しい梅雨空を眺めながら物思いに耽るひとときの景が目に浮かぶ。いつもは気にならなかった電灯の紐。「ぶら下る」の抑えによって何故か電灯の紐の存在感が増して来る。梅雨の齎す鬱屈した気分から転位する世界。
ゆつくりと星ついてくる流燈会 松本龍子
流れゆく灯籠を見送りつつ再び話すことが叶わなくなった人への追慕の念が深まる。人生の無常を感じながら星空を仰ぐ時、天体の運行と輪廻転生への思いがオーバーラップする。
ぼうふらの仮名文字動く溜り水 生田亜々子
群れをなして泳ぐ孑孑の様子を「仮名文字」と捉えた所に発見がある。擬人化が奏功して読み手を楽しい空想へと誘う。
透き通るシャコンヌの音夏の宵 於保淳子
掲句に接してバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番の終曲(シャコンヌ)が聴こえて来た。透明感があり鋭角的に切り込むシャープなヴァイオリンの響きが夏の宵にマッチしている。
菩提樹や額に花と陽を受ける 五島高資
菩提樹と云えばシューベルトの名曲「菩提樹」が先ずは思い浮かんだ。中七下五の措辞は失恋した若者を慰めるかのようであり、左様な感傷を離れても向日性に富む一句である。
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「俳句スクエア集」2020年 8月号鑑賞 Ⅱ
松本龍子
梅雨空に電灯の紐ぶら下る 石母田星人
一読、「朦朧性」を感じる。長雨の墨色の空に太陽のような電灯がぼんやりと輝いている。そこに黒い紐がすっと落ちているという句意。映像的にはなかなかシュールで長谷川等伯の『松林図』のような余白とソフトフォーカスの墨の世界を想起させる。
守護霊は海月でありし沈没船 朝吹英和
一読、「朦朧性」を感じる。沈没船の守護霊は海月であるという句意。古代人は死者は神となって生者を守護するという思想を持っていたようである。そこでは死者は慈愛にみちた生者の守護神である。<沈没船>はこの季節ではどうしても戦艦などの「戦没船」を思い浮かべる。<海月>が<守護霊>のように「ふんわり」と浮んでいるイメージが見えてくる。
目に映る私の奥の積乱雲 生田亜々子
一読、「直観的把握」を感じる。<積乱雲>のように私の中のいのちの「浮立」が目に見えてくるという句意。女性特有の、自然を身体的把握による捉えて非常に好ましい。日常のある場面での「小さな感動」を上手く掬い上げている。
木道に轟く滝の空をみる 於保淳子
一読、「甦りの力」を感じる。<滝の空>とは何か。禅では<空>は「深い静けさ」をいう。無ではなく充実した生命感を表した「静けさ」ということだろうか。木道を歩きながら<滝の空>を見てなんともいえない幸福感に心が満たされている作者が見えてくる。私も近くの「高座の滝」に犬と散歩がてら「修行」に出かけるが、滝に近づくに従って体に微妙な変化が起こる。まず聴覚が鋭敏になり、次に嗅覚そして全感覚が「野生化」してくるのだ。
菩提樹や額に花と陽を受ける 五島高資
一読、「瞑想」の気配を感じる句である。瞳を閉じて額に花と太陽を受けていると、作者の心の中に朧げに浮かんできたのが、菩提樹だったという句意だろうか。この<菩提樹>は此の世のどこにも存在しない。作者の心の中にある<菩提樹>である。<額に花と陽を受ける>のは現実のものだろうが、<菩提樹>は時空転位した<菩提樹>なのだろう。現実の世界と心の世界の境界を示すのが切字の<や>である。見事に切れている。
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Copyright (C) Takatoshi Gotoh 1998.3.1