「俳句スクエア集」2020年 6月号鑑賞 Ⅰ
朝吹英和
遠景の詰まつてをりぬ夏蜜柑 石母田星人
柑橘系特有の夏蜜柑の甘酸っぱい香りと味。皮を剥いた途端に遥か昔の思い出が蘇った。甘く切ない初恋の事だったのかも知れぬ。
鬼の子の右往左往や八重桜 服部一彦
春爛漫を象徴する八重桜の花の下で鬼の子が落ち着かない様子で右往左往しているという諧謔味。「鬼の子」は蓑虫の別名でもあり季語としてではなく読むのも面白い。
過去帳の背後に過ぎる青嵐 松本龍子
在家用のものであれば一家の系譜の記録でもある過去帳。青葉を揺らして吹き渡る青嵐によって先祖への思いが募る。青嵐には左様な心象風景を齎す力がある。
山楝蛇星の王子を送りけり 加藤直克
サン・テグジュペリの小説『星の王子さま』の終盤の一景が想起される。王子は蛇に噛まれてしまい故郷の星へと還っていった。蛇の象徴するものについて様々な解釈があるという。読み手をメルヘンの世界に誘う一句。
蛇苺どれも哀しく点滅す 干野風来子
蛇苺は食用は出来るものの味わいに乏しく、ネーミングのせいもあって日陰者扱いされている。「点滅す」の抑えに健気に実る小さな果実への作者の慈愛の眼差しを感じる。
あまびこのおとづれにけり雨蛙 五島高資
「あまびこ」は江戸時代に疫病退治にご利益のあった海中に棲む三本足の妖怪と聞く。現代のコロナ禍にあって出現した「あまびこ」は雨蛙が呼び出したのかも知れぬ。森の中に棲む雨蛙が現代と昔を繋ぐ役目を担ったとする詩情に得心する。
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「俳句スクエア集」2020年 6月号鑑賞 Ⅱ
松本龍子
風甘くする矢車といふ呪文 石母田星人
一読、龍と化す「鯉」が見えてくる。<風甘くする>とは何か。<矢車>は風を受けるたびに「カラカラカラ」とやさしい低音を響かせているという句意だろうか。中国の六朝時代から「端午の節」には病や災厄を祓う祭儀が行われていた。江戸中期の町人階級から男児の出世健康を祈願して、武具に代えて鯉幟を戸外に立てる風習が生まれたらしい。白川静は歌謡の原質は本来<呪文>であったと述べている。「祈り」が単なる言葉だけでなく、<矢車>という形になることで<呪文>のような「歌」になったということだろう。
鯥五郎宝石箱を擦り抜けり 朝吹英和
一読、「詩情」を感じる。<鯥五郎>はハゼ科に属する、潮が引いた干潟で生活する魚。有明海・八代海に分布している。<宝石箱>は暗喩だろうが何を象徴しているのか。潮が引いた干潟に満天の星が煌めいている。そこを這うように擦り抜けているという句意だろうか。月や星が出ているなら海面は蒼白く光り、<鯥五郎>の跳ねる音だけが聴こえてくる。潮の満干から生まれ出た生命共同体に同化する作者の精神が見えてくるようである。
尾の消えて扉を締める桜桃忌 毬月
一読、「雨音」が聴こえてくる。<桜桃忌>は太宰治が1948年6月13日に愛人と玉川上水に入水し、遺体が発見された日を同郷で当時三鷹に住んでいた直木賞作家今官一が命名したという。<尾の消えて扉を締める>は素直に読めば雨が降りだして、外から戻った飼い猫の尾が入ると主人が雨戸の扉を締めたということだろう。しかし、この作者が単なる季感・日常性だけを詠んだとは思えない。<消えて><締める>というイメージと、<桜桃忌>のイメージの中に「重層性の曖昧さ」を潜ませることで「多重空間の創出」が生まれている。
山棟蛇星の王子を送りけり 加藤直克
一読、「諦観」を感じる。<山棟蛇>は「山の蛇」で平地や山地の標高の低い水辺に生息する毒蛇のこと。<星の王子>はサン・テクジュペリの『星の王子様』の主人公。死の死者である<山棟蛇>が純粋な<星の王子>の魂を薔薇と過ごした「彼方の星」に再び飛翔させたということだろうか。永遠に自らの存在証明を求めて、「物質的享楽」の追及を続ける現代人はコロナ・自然災害などの突然の驟雨のような「不安」に苛まれている。はたして、迷いの深い人類は「信じられるもの」に気づいた<星の王子>になれるのだろうか。
あまびこのおとづれにけり雨蛙 五島高資
一読、「祈り」を感じる。<あまびこ>は江戸時代に「疫病」が流行した際のお守りとしての「妖怪」。「妖怪」は身体と精神の間の言葉に出来ない、悲しみや悔しさ、もやもやした感情を「共同体の記憶」としてカタチにしたもの。天から雨が降り、森を潤し、川となって海に注ぎ、また天に昇華してしていく水の循環。これは人間にも雨蛙にも存在する生命の循環と対応する。<雨蛙>は雨を受けると陶酔した表情を浮かべるが、<あまびこ>の訪れにも微笑んでるに違いない。
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Copyright (C) Takatoshi Gotoh 1998.3.1