「俳句スクエア集」2020年 5月号鑑賞 Ⅰ

                   

                         朝吹英和



  末黒野のベテルギウスの暗さかな      石母田星人


  オリオン座の1等星であるベテルギウスの光度が昨年秋から減光して遂には2等星に陥落したと聞く。いずれは爆発するのではとの見方もあるが、野焼き後の深い闇夜で仰ぐベテルギウスへの思いが読み手に伝わる。季語の斡旋が見事。



  嵩上げの傷跡にある蕨かな         松本龍子


 堤防や土手の嵩上げの光景であろうか。春の訪れを象徴する蕨が萌え出る場所を「傷跡」と表現した所に再生への思いが込められている。



  春の雪水面に触れて歌ひ初む         大津留直


 春の淡雪であろうか、水面に触れて消えながらもそこに歌が誕生したという清爽な抒情の発露に得心する。



  春の昼チェロの響きはいずこから      小澤ほのか


 伸びやかで温かみの感じられるチェロの響きが何処からともなく聴こえて来たという春の昼らしい長閑な情景が目に浮かぶ。



  龍天に登りし松の馨りかな         五島高資


 春分の頃の穏やかな気分に松の馨りは相応しい。作者の句集『雷光』にも同じ季語の作品が収録されている。龍天に登る月夜の蘇鉄かな 高資




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  「俳句スクエア集」2020年 5月号鑑賞 Ⅱ

                   

                         松本龍子



    夏の川時間の澱を流しけり         朝吹英和


 一読、『方丈記』を思い浮かべる。<時間の澱>とは何か。「ゆく川の流れはたえずして、しかももとの水にあらず。」源流から積もり溜まったものを流すという、単純な解釈ではないだろう。コロナショックのために、「資本主義・グローバル化」という<神話の澱>が一挙に流されてしまった。自分勝手な都合で今の状態が続くと思い込み、生態系への進出をした結果だったのではないか。「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」



  耳鳴のやがて海鳴さくらどき        石母田星人


 一読、胎内の音が聴こえてくる。<耳鳴のやがて海鳴>とは何か。笛の音が次第に変化して海からの轟音が聞こえてくる。桜の花が咲くころ、目を瞑って見えてくるもの。聞こえてくるもの。それは作者の潜在意識から浮かび上がる音なのだろうか。原子の風の音は蛙の声に似ているらしい。「ゴロゴロ、ゴーゴー」いつか見たはずの「空間」が立ち現われてくる。



  あした咲く牡丹淡き息遣ひ         松尾紘子


 一読、「アニミズム」を感じる。<淡き息遣い>とは何か。アニミズムとはあらゆる事物の背後に、霊の働きを感じる思考法。人間の意識が植物の中に入り込むことで微かな呼吸を感じているのだ。人間も<牡丹>もひとつながりの存在だという、確かな実感が作者にはあるのだろう。明日咲くであろう<牡丹>の佇まいに、作者と<牡丹>の混じり合った芳醇な気が立ち昇っている。



  老鶯や宣長の鈴うち鳴らす         加藤直克


 一読、「アニミズム」を感じる。<宣長の鈴>とは何か。本居宣長は自宅を「鈴屋」と号していたほどの鈴のコレクターである。夏の鶯の声と鈴の音が相互貫入を起こして響き合っている。宣長は文学の本質を「もののあはれ」にあると認識していたから<宣長の鈴>はこれを象徴している。自分ではどうにもならないコロナショックによる消された日常に、しみじみと湧き上がる「もののあはれ」。これこそ古代人から新古今歌人・藤原俊成にも流れる心性なのだろう。



 斃れたる身に滞る春の水          五島高資資


 一読、死者の「無念」が聞こえてくる。<斃れたる身に滞る>とは何か。それは今回のコロナショックで亡くなった方、津波被災で行方不明の方、そして戦没者にも共通する心情だろうか。思いもかけず生を断ち切られたということは「言い残した言葉」があるはずである。あきらめきれない生者と死者。いまこそ過去に生きた者たちの声を聴きとり、死者たちの声に耳を傾けることが必要なのだろう。




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