「俳句スクエア集」2020年 4月号鑑賞 Ⅰ
朝吹英和
蛇出づる世の真ん中に犀の角 石母田星人
冬眠から目覚めた蛇を待ち構えていた犀の角は、平和な社会の眠りを覚ますものの象徴であろう。新型コロナウィルス感染がパンデミックに陥っている現在、掲句の警鐘は重い。
常夜から寝返りを打つ朝寝かな 松本龍子
日本神話に遡る「常夜」は黄泉の国。死は意識を失った状態ゆえに人は毎晩死に至り、翌朝の目覚めで生を実感するのである。「寝返りを打つ」の措辞に「春眠暁を覚えず」のゆるやかな気分が実感される。
春の川ひかりを縛ること想う 真矢ひろみ
春の日を浴びて煌めく川の流れを眺めていると濁世の柵から解放される。普段は考えもしない突拍子もない事を自由に夢想する事も春の陽気のお陰であろう。
春風を追いてみどりの窓口へ 於保淳子
新型コロナウィルス感染拡大に歯止めが掛からない状況では旅の楽しみも奪われてしまったが、掲句には旅に出掛ける高揚感が春風に乗って伝わって来る。春風に押されるのではなく自ら追いかけて行く所に旅路への期待感が込められている。
牡丹雪湯の涌く音の中にをり 五島高資
源泉掛流しの露天風呂、それも雪見の風呂となれば旅情も一層増して来る。温泉に浸かりなら心身共にリラックスする至福の時。「湯の涌く音」が読み手の記憶を刺激して様々な温泉へと誘ってくれる。
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「俳句スクエア集」2020年 4月号鑑賞 Ⅱ
松本龍子
飛び立ちてパズル埋まらぬ冬の鳥 服部一彦
一読、「喪失感」を感じる。<冬の鳥>は冬に見かける鳥の総称。<パズル埋まらぬ>とは何か。ジグソーパズルのピースを失くして絵が完成しないように、消滅した空間を面影が佇んでいるということだろうか。作者の記憶からイメージされた空間が「うつろう時間」を生成している。
海鳴りの彼方に春の大夕焼 朝吹英和
一読、「死者の声」が聞こえてくる。東日本大震災とは、原発事故とは何だったのか。永遠の成長が人類の幸福を保証するという「資本主義の神話」の崩壊に、一瞬日本人は気付いたはずだった。突然波にのまれた行方不明者、突然故郷を追われた者の恐怖と怒りと絶望。死者たちの無念、死者と故郷を失った生者の記憶が<春の大夕焼>に象徴されている。
鳥影は鳥より高し利休の忌 石母田星人
一読、「諦観」を感じる。<鳥影は鳥より高し>とは何か。利休の辞世の句は「利休めはとかく冥加のものぞかし 菅丞相になるとぞ思へば」。利休は「死というのは、終わりと永遠が共存できる場所、死ぬことで永遠に存在できる」と悟ったということだろうか。鳥影の中にある「命の輝き」が見えてくる。。
ミモザ咲き靴音高き女の行く 於田淳子
一読、「香水の匂い」を感じる。<ミモザ咲く>の中に春の訪れを身体全体で感じ取って、ハイヒールの女が歩いて行く。<ミモザ>は春の季節感を表すためではなく、比喩的な働きを与えられている。鮮やかな原色のレモンイエローが歩く女の「心象風景」を直観的に表現している。
牡丹雪湯の湧くごとく音の中にをり 五島高資
一読、「静的な諦念」を感じる。<牡丹雪>は春に降る溶けやすい雪。東日本大震災の起きた3月11日とそれ以降連日大雪が降った。数万のいのちを奪った津波の泥が<牡丹雪>となって故郷に戻ってきたのだ。「コポコポ」と<湧く音>は死者の呼びかけだろうか。「生者の記憶」が死者の語りを甦らせている。
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Copyright (C) Takatoshi Gotoh 1998.3.1