「俳句スクエア集」2019年 6月号鑑賞 

                   

                         五島高資



  清らかに濁る泉を紫雲かな         石母田星人


 幾星霜かつ幾重の地層などを経て湧き出る泉は自然の濾過装置を通ってきたが故の清らかさを持つ。しかし、地中から出た瞬間、特に水中では再び地表の砂礫などを巻き上げることになる。もっとも、その煙のように濁ってこそ、私たちは水中の泉の様態を知ることになる。作者は、それを単なる青い水煙ではなく紫雲と捉えた。紫雲が予兆するという吉祥もまたこの句の詩的次元を高めている。


 

  菜の花や逆さに立てるマヨネーズ      菊池宇鷹


 食卓から菜の花が見えるのであろう。マヨネーズの容器にはあまり中身が入っていないのかもしれない。それで作者はマヨネーズの容器を逆さまに立てることで中身を下に落として出やすくしているのかもしれない。いずれにしても、逆さまのマヨネーズの容器とその先に揺らめく菜の花の光景を切り取った無邪気な感性の鋭さを感じる。日常茶飯における人間の営為と菜の花の天為が様々に詩的共鳴する。

 


 

  目合ひの蠅追う少女道玄坂         真矢ひろみ


 道玄坂は、まさに若者の街・渋谷の繁華街にある。少女の目には、良きにつけ悪しきにつけ、刺激的なものが過ぎっていく。目の前の蠅を追い払うという実景かもしれないが、逆にうるさいけれども気を引かれる人物を追いかけてしまう少女の好奇心もそこに投影されているようにも思われる。そうした冒険を乗り越えてこそ人は成長していく。


 

  大空に飛び込まむとす鯉幟         眞島裕樹


 鯉幟の鯉が空を泳ぐという表現はよくあるが、「大空に飛び込む」と詠んで一句に勢いが生まれた。やや稚拙な描写かもしれないが、大空に登らんとする鯉の志と作者の大志とが重なって覗われる。写実は俳句の基礎として大事であるが、それにに止まらず、鯉と一体化するような主客合一の精神を忘れずに俳諧という大空を駆け巡ってもらいたい。



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