「俳句スクエア集」平成31年 5月号鑑賞
松本龍子
すれ違ふことも人生ラムネ抜く 朝吹英和
一読、淡い恋心の出会いへの一抹の悔いを感じる。ラムネを抜いた瞬間、ビー玉は落ち空気の粒が浮き上がるようにすれ違うことも人生なのだという句意。着想の意外性によって単なる予定調和に陥ることなく、時間の<一瞬>と人生という<期間>を巧みに取合せている。季語が「詩語」として活きている。
境目がわからないまま春の水 生田亜々子
一読、不思議な詩情を感じる。境目が分からないままに、雪解けの水が川を潤してゆっくり流れているという句意。そういわれてみれば、春の水は波打ち際のように境界領域があるわけでも、存在の明確さがあるわけでも、他者への怖れのような場でもない。源流の一滴の雫から、「時間」を経ることで豊かな水量をたたえた川に変貌する。作者の意表を突く「発見」に拍手。
春蝉や真空管の燈る地下 石母田星人
一読、意外性に驚く。技術的には取り合わされる<春蝉>と<地下>は独立しながら、それぞれ鮮やかなイメージを持っている。それでいながらこの要素の間が「切字」で切れている。蝉の幼虫は空への飛翔を夢見て、例えば、ブルース・ナウマンの『百回生きて死ね』のネオンの明滅を地下で見つめながら十七年間潜伏しているのだろうか。
散る花の光の波を渡りゆく 加藤直克
一読、詩情を感じる。<光の波を>とはどういうものか、『銀河鉄道の夜』に「ひかりといふものは、ひとつのエネルギーだよ」という言葉があったが、おそらく作者にはそういう風に見えたということなのだろう。それは土に還る前の花弁の「つぶやき」なのかもしれぬ。
厩出しの瞳に海の深さかな 五島高資
一読、詩情を感じる。句意としては冬のあいだ厩で飼っていた馬を春になって野に放つ瞬間に、その馬の瞳に海の深さを感じたということだろう。<海の深さ>という誇張した物言いのために、馬の目の中に海の水が溢れているように見えてくる。この瞳の中に東日本大震災の放射能汚染区域の牛馬が脳裏をよぎるのは私だけだろうか。
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Copyright (C) Takatoshi Gotoh 1998.3.1