「俳句スクエア集」平成31年 4月号鑑賞

                   

                         松本龍子



  湯上がりの身ほとりにある朧かな          松尾紘子


 一読、詩情を感じる。湯上りの火照った身体が朦朧とかすむように見えるという句意。視覚的にも皮膚感覚の触覚的にも意外性がある。日常的な素材、場面において単なる季語の本意・本情をなぞるのではなく、「詩的な言葉」に変換している。


  春光を育んでゐる金盥                石母田星人


 一読、水と光の揺らめきを感じ「潜在意識」に届く。金盥が柔らかく、暖かい春の陽光を育てているという句意。金盥が「鳥の巣」のように陽光を包みながら、また「新しい命」を生み、育てている景が見えてくる。金盥の「金属の反射光」が効いている。


  鯉に手を吸わせて満たす春愁           生田亜々子


 一読、いのちの「浮立」を感じる。鯉に手を吸わせて春の何となく憂いを感じる気持ちを満たしているという句意。女性でなくても子供の頃、動物に指を吸わせて感じた触感の記憶が一瞬に甦る。本能に訴える「潜在的な記憶」。対象物の「鯉」の「いのちの輝き」と同時に、作者の「母性」を感じる。



  暖かや河馬を見倣ひ大あくび            朝吹英和


 一読、俳諧味を感じる。河馬を見倣って大欠伸をすると春の陽気の暖かさを思い浮かべたという句意。掲句の面白さの要因はアナロジーの発見にあるのだろう。<河馬の口>と<大欠伸>、<河馬の色>と<暖か>の相似。中七の比喩が意味の重層性を生み、巧みだ。


  平成の果てやあはゆき積もらざる          五島高資


 一読、何ともいえない諦観を感じる。平成を振り返ると日本人は「余裕」が無くなり、効率ばかりを追求して身を縮め「護り」に入ってしまった。そのために日本全体は必然的に「縮小」して、知らぬまに自由な表現までも規制されるような風潮が蔓延している。「淡雪」はそんな日本人の心情を象徴しているのかもしれない。日本人の想いが積み重なり「記憶」となる。平成は終わるが、終わりは令和の始まり、「主体性」の始まりであってほしい。     




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