「俳句スクエア集」平成29年 12月号鑑賞 I

                   

                       朝吹英和



  大仏のてのひらにゐる穴惑         石母田星人


 冬眠のために穴を探してうろうろしている蛇が何を間違えたのか大仏様の手のひらに迷い込んでいた。穴惑と大仏とは意外な取り合わせであるが、惑う蛇をおおらかに包み込む慈悲深い大仏の姿が目に浮かぶ。



  音立てて闇落ちてゆく霧氷花        松本龍子


 闇夜が空けて来た薄明の景であろうか、花開いた霧氷が曙光を浴びて煌めく瞬間を上五中七の措辞によって予感させている。「音立てて」の大袈裟な表現が闇夜と光輝く世界との対比を鮮烈なものとしている。モーツァルトの歌劇「魔笛」の大詰めで夜の女王一味が地獄に落ち、ザラストロが支配する光に満ちた世界に転換する場面が想起された。



  朝市や炭火を囲む旅鞄           於保淳子


 旅先の朝市で暖を取る為に集まって来た旅行者と売り手との賑やかな会話が聞えて来るような一句であり、旅行者に紛れてフーテンの寅さんの姿も見えて来るようである。新鮮な魚介を焼くための炭火が効果的であり、活気に満ちた朝市の景を引き立てている。



  みぞれ落つ輪島朝市女系かな        干野風来子


 偶然に朝市の句が並んでいるが、掲句は輪島の朝市の景を詠っている。地元の名産品などを商っている売り手の女性の呼び込みの声が霙混じりの時空に木霊している。冬の日本海気候の陰鬱な気分を吹き飛ばす勢いが「女系かな」の下五に込められているようである。



  紅葉散る淵に臥龍の瞳かな         五島高資  


 伊予の小京都と言われている愛媛県大洲市の臥龍淵には、旱魃に悩む村に雨を降らせて助けてくれた龍が棲んでいたという伝説があると聞いた。紅葉の散り込む淵の底深く棲息する龍の瞳。秋の澄み切った水に散り込む紅葉の赤と、赤い龍の瞳とが映発する。





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  「俳句スクエア集」平成29年 12月号鑑賞 Ⅱ


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  寒満月喪服のピエロ佇めり         朝吹英和


 一読、着想の意外性を感じる。寒中の冴え渡った月に喪服のピエロが佇んでいるという句意。取り合わせは単に断切、句切れがあるだけではなくて違う「もの」と「事柄」がなくてはいけない。その意味では宇宙の「寒満月」と非日常の空間にいる「喪服のピエロ」は妙に響き合う。異界からまるで作者自身の葬儀を眺めているような「静謐な時間」を感じる。

 


  イエスなる男の上に白鳥来         阪野基道


 一読、丘の上で夕日を浴びた磔の映像が浮かぶ。言葉のままに解釈すれば十字架に磔になったイエス・キリストの頭上に白鳥がやってきたという句意。イエスは磔刑場で「エリ、エリ、レサ、サバクタニ」(神よ、なぜ私をお見捨てになったのですか)と人間の力を超えた「神」に最期の想いを告白している。この瞬間、人間イエスの「祈りの深さ」は復活した「白鳥」を呼び寄せるのだろう。


 

  大仏のてのひらにゐる穴惑         石母田星人


 一読、不思議な詩情を感じる。言葉のままに解釈すれば、大仏の掌に彼岸が過ぎても穴に入らない蛇がいるという句意。おそらく掲句は想像の句だろう。だとすればこの蛇 は作者の「分身」なのかもしれない。俳句だからこそ、巨大な大仏の掌の蛇に変身して眠ることもできる。論理的なつながりのない取り合わせだが、「分身」としては感覚的にも 「穴惑」がふさわしいのだろう。   

 

 

  いてふ散る郵便ポストまで千歩       松尾紘子


 一読、作者の「心の動き」が見えてくる。郵便ポストまで千歩ぐらいある道に鮮やかな美しい銀杏の黄葉が散っているという句意。アッと驚く取り合わせではないが黄葉を間接的に上手く詠んでいるところが好ましい。作者にとっては大切な手紙を投函するために、時間を忘れさせる黄葉の道は「夢の中の千歩」なのかもしれない。

 

        

  紅葉散る淵に臥龍の瞳かな         五島高資


 一読、不思議な詩情を感じる。「臥龍」は寝ている龍、まだ雲雨を得ないため天にのぼれず、地にひそみ隠れている龍のことで、「臥龍の瞳」は龍の眼のこと。紅葉が降り積もることで長い道が紅葉に覆われた「鱗」を持った「龍の眼」が見えたという句意。単に自分の足元を見ているだけでなく、そこに「宇宙」の気配を感じているところに作者「独自の感覚」がある。

                          




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