「俳句スクエア集」平成29年 10月号鑑賞 I
朝吹英和
月光や研師は水を飼ひならす 石母田星人
月光を浴びて只管仕事に没頭している研師の姿が目に浮かぶ。刀剣の研磨であろうか、水の働きには摩擦熱を冷やしたり滑りを良くする他に防錆もあると言う。「水を飼ひならす」との措辞が職人技の冴えを暗示しており、冷たく光る月光が技の冴えを増幅している。
秒針を追う触角や夜の秋 真矢ひろみ
昆虫などの触角は触覚や嗅覚を司る感覚器官である。忍び寄る秋の気配を鋭敏に感じ取った繊細な感性の働きを「秒針を追う」と形容した表現が効果的である。カフカの『変身』の一節が私の脳裏を過った。
クレーめく花野に生るる天使たち 大津留直
冴え渡る色彩と諧調の美しいクレーの絵画。抽象性が高く、見る者に様々な想像を喚起する作品から掲句の如きメルヘンチックな世界も誕生したのであろう。
さみしいと平仮名で書く夜の長き 松尾紘子
秋の夜長には何処か物想いに耽ったり、憂いの底に沈潜するような気分が感じられる。メールではなく手紙を認めているのであろうか、「さみしい」とのかな表記に万感の想いが込められている。
コスモスや太陽からの風に咲く 五島高資
「太陽からの風」とは太陽の黒点から放出される放射線の事であろうか。SF小説のタイトルになったりと宇宙の神秘を内包する言葉である。生命の源泉である太陽から吹く風と眼前に咲く可憐なコスモスとの調和に詩情が蓄えられている。
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「俳句スクエア集」平成29年 10月号鑑賞 Ⅱ
松本龍子
径広くなりて蜻蛉の國に入る 石母田星人
一読、不思議な詩情を感じる。「蜻蛉の國」という言葉の展開するイメージは、夕闇や暗闇という空間だろうか。日本の国の古い呼び名の一つに「蜻蛉島」(あきつしま)という名前がある。別名では「蜻蛉洲」。「豊かな稔の国」と言う意味の「秋津洲」と語音が同じである。時間と空間は「蜻蛉」という存在のための器だが、この意外性のある言葉によって作者は忍者のように知らぬ間に人の傍にいたり、いつの間にか傍から消える不思議な存在に変身している。
こおろぎの奏でる土間の醤油色 加藤直克
一読、不思議な詩情を感じる。蟋蟀が土間の醤油色を奏でているという句意。蟋蟀の聲が土間の醤油色を表出しているのは何ともユニークである。確かにそういわれて見れば、「蟋蟀の色」と下五の「醤油色」は同化していて納得がゆく。表現されているのは音楽に造詣が深い作者独自の「感覚」だろう。
雑踏の洗われていく秋雨かな 於保淳子
一読、詩情を感じる。雑踏が洗われていく秋に霄条と降る雨であるという句意。例えば信号待ちの交差点で渡る瞬間に「ささいな感情」が生まれたのだろうか。日常の何気ない風景の中に「瞬間の美」を感じる作者が見えてくる。
さみしいと平仮名で書く夜の長き 松尾紘子
一読、着想の意外性を感じる。言葉の通り読めば、さみしいと平仮名で走り書きをするほど夜が長く感じられる秋であるという句意。自然の分身である作者は自然界や男のゆらぎを敏感に感じて「心の揺れ」を「さみしいと平仮名で書く」のかもしれない。下五の「夜の長き」という季語の表現が効果的。
水音の止む眼裏や終戦日 五島高資
一読、ある種の諦観を感じる。先程まで眼裏に聞こえていた水音が止む終戦日であるという句意。眼裏まで「終戦日」が影を落としているように感じるのは私だけだろうか。戦後、日本人は「米国」と「企業」の呼びかけに思考停止的に適応していくことで神経症的になったがその反面、人生の拘束や制約を嫌う「我儘」を増長させている。「現世利益」と「関係主義」の現代人は「終戦日」以来、日本の「伝統文化の源泉」を止めてしまったのではないか。
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Copyright (C) Takatoshi Gotoh 1998.3.1