「俳句スクエア集」平成29年 8月号鑑賞 I

                   

                       松本龍子



  蛍火にふれて少年阿修羅像         阪野基道


 一読、不思議な詩情を感じる。蛍火にふれて少年が阿修羅像のように見えたという句意。光明皇后は息子の死をいたんで、少年の仏像を作らせたと言われている。漆と小麦粉を混ぜたものを麻布に塗り、それを貼り付けていくことで繊細な「表情」を造形した。「蛍火」に触れて感動する「少年の表情」に「阿修羅像の光」を見た作者の感性に驚嘆する。


 

  大いなる水輪のとどく夏の夕         石母田星人


 一読、音を感じる。季語の「夏の夕」は暑い一日が暮れ、ほっとする一時。そんな時間に大きな水輪が水際に届くという句意だろうか。思い浮かべるのは家族旅行で行ったオーストラリアの湖水を照らす夕焼けだ。「大いなる」という言葉に作者の「感動」と「時間」がまっすぐに伝わってくるとともに「湖水の広さ」を想像させる。


 

  眉ひけば七夕の風眉尻に           今井みさを


 一読、「いのちの揺れ」を感じる。鏡面を前にして化粧の仕上げに眉をひくと七夕の風を眉尻に感じたという句意。眉尻への「筆の動き」と「風の動き」が同化して納得感がある。対象である眉が拡大鏡に映されて、「時間と空間」が拡大しているのは非常に巧みで面白い。


 

  飴玉を口にころばせては端居         松尾紘子


 一読、ゆるい「夏の時間」を感じる。飴玉を口にころばせて夏の夕方、縁側に出て涼を求めてくつろいでいるという句意。何気ない日常を描いているが、作者の無意識の「いのちの炎」がほのかに垣間見えて見事だ。


 

  富士山の艫綱を解く夕焼かな         五島高資


 一読、発想の意外性を感じる。巨艦「富士山」の艫綱を解いている夕焼けであるという句意。 中沢新一が「五七調は舟を漕ぐリズムからきている」と鋭い指摘をしているが、そういう意味での「古代の海民の記憶」につながる美意識と舟からの低い視点は見事である。




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  「俳句スクエア集」平成29年 8月号鑑賞 Ⅱ


                                              朝吹英和



 ほうたるよ是より先は禁足地       湧雲文月


 童歌では「ほうほう蛍来い こっちの水は甘いぞ あっちの水は苦いぞ」と歌われている蛍。長閑な雰囲気に満ちた光景は「是より先は禁足地」という呼びかけで一転する。




 月光浴び縄文からの石を研ぐ       阪野基道


 太古の昔から存在していた石を研ぐ人とは誰なのか。石も照らし、その人も照らして来た月の光。「太陽が何に見えるかというテーマはない。月だから何かに見えるのである」(松岡正剛)満ち欠けを繰り返す月をテーマとした芸術は古今東西を問わずに多い。喚起力のある季語によって様々な想像が拡がる。




 光背のすきまをうめる星月夜       松本龍子


 光背は如来や菩薩から発せられる光であるが、幾筋もの光の隙間を星月夜が埋めているという不思議な世界。秋の星空の下で降臨した仏を幻視したのであろうか、「星月夜」に内在するロマンを上手く引き出して魅力的である。



 

 うからみな遠く隔てし雲の峰       前田呑舞


 親族の事を敢えて「うから」とひらがな表記にして絆の弱くなってしまった関係を示唆している。大家族中心の社会が崩壊して核家族化が進展し、現在の我が国では核家族が約60%に達しているという。親戚付き合いの疎遠になった感懐が雄大な雲の峰によって印象付けられる。




 富士山の艫綱を解く夕焼かな        五島高資


 夕焼け空にやがて沈みゆく富士山を巨艦と見立てたスケールの大きな景。日中はどっしりとした存在感のある富士山であるが、夕闇と共に眠りに落ちるのであろうか「艫綱を解く」の措辞が夕焼けの力を増幅させている。



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  「俳句スクエア集」平成29年 8月号鑑賞 Ⅲ


                                              石母田星人


 五次元の寄せるみぎはや時計草       五島高資

  

 時計草の写生句だが、単純な写生ではない。時計草の花の形状は独特で、そのたたずまいから「五次元」という象徴を想起したのだ。一次元は点や直線、二次元は面、三次元は私たちのいる縦・横・高さの世界。四次元は、三次元に時間軸が加わったもので四次元時空のこと。そしてこの句の五次元は、四次元時空と同じ時間軸が無数にある世界で、パラレルワールドとも呼ばれている。五次元では、現実の世界とは別にもっと違う〈現実の世界〉がいくつも存在すると考えられている。この句のみぎはの存在する時空には、違う時間と違う空間が、幾重にも重なり合って何度も何度も静かに打ち寄せている。上五中七からは、象徴の五次元へ静かに昇華してゆく広がりが見えてくる。句の内包する奥ゆきが宇宙の慈光とつながっているように感じる。


 

 蓮の花半身すでに月の水          松本龍子


 満月がやっと顔を出した夕方の蓮池。花はみな閉じて蕾のような状態になってしまった。「半身」というと、蓮池の水面下の部分と思ってしまうが、この句の半身は、すでに閉じてしまった花を描いている。閉じて半身、開いて半身。巧みな捉え方だ。


 

 分身の覗いていたる夏の淵         石田桃江


 夏の淵を覗いている自分の姿を、淵の中に見た。その姿は、淵の上に立つ私を眺めるもう一人の私だ。もう一人の私も怖気付いているのに違いないのだがそうは見えない。何の計らいもない、素直な視線が面白い。夏の淵の深さと色合いが印象的だ。




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