「俳句スクエア集」平成29年 6月号鑑賞 I
石母田星人
老鶯の祈りひたぶるマタイかな 加藤直克
「老鶯」という季語のネーミングはおかしい。手元の歳時記の「老鶯」の解説には「声が稍衰へて」とあるが、冗談ではない。山里に行くと張りのある鳴き声で天を覆っている。夏になってもまだ雌を求めて鳴いている元気な雄の個体のことを「老鶯」と言うのだ。何なら「老」を「旺」に換えて「旺鶯」としてもいい。「老」の字は一句のトーンを変えてしまう。特にこのような句では影響甚だしい。しっかりはっきり明瞭に雲を突き抜けるような鳴き声を出すのがこの時季の鶯なのだ。一字で印象が変わる。何とかしようよ。
昇降機蛾は何階で降りますか 高井直美
空へ向かう昇降機。さまざまな生き物たちが乗っている。象、麒麟、馬、ヒト、蛾、蟻。10階までにはおおかた降りた。残りは翼と翅を持つものたち。昇りつづけて30階をすぎた。さあ「蛾は何階で降りますか?」…。面白く読めた。口語俳句は、前後の具体的な文脈が想像でき、イメージの喚起力は強い。半面、意味の射程から脱け出すのが少々難しい。読む側も発想の飛躍に少々難。
鯉幟五臓六腑に染み渡る 菊池宇鷹
五月鯉が靡いているさまを見て、風が五臓六腑に染み渡っていると感じたのだ。そう言えば、五月鯉の元気な動きは、冷たいものとか旨い酒が体内に染み渡った際の快感とよく似ている。内臓で感じる身体内感覚を、五月鯉の動きで具現化したところが巧み。。
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「俳句スクエア集」平成29年 6月号鑑賞 Ⅱ
朝吹英和
紫陽花の青さ宇宙に浮かびけり 亜仁子
雨上がりの時には紫陽花の色鮮やかな青が殊更目に映えて美しく、梅雨の鬱屈した気分を忘れる程である。そうした喜びの気持ちを託して紫陽花の青を「宇宙に浮かびけり」と大胆に表現した所に新鮮味を感じる
銀河系宇宙脈打つ落花かな 石母田星人
引っ切り無しに散りゆく花吹雪もまた生命力の象徴である。一瞬の出来事の中にも大きなエネルギーが宿っている。気宇壮大な世界が魅力的。
街に人海に海月の漂ひて 高井直美
目的もなく漂っているかの如き海月を眺めていると街中の雑踏を行き交う人々の姿がオーバーラップして来た。海月に何処となく感じられる気だるさが現代の世相を反映しているようである。
雨降つておのれにきづく雨蛙 松本龍子
じっとして動かなかった雨蛙が雨を感じて動き出した。生き物の生態を描写した句であるが、不思議な味わいがある。
雨上がり山を走れる夕焼かな 五島高資
雨模様の一日がそのまま暮れて闇夜となれば気分も晴れず鬱陶しいが、雨が上がって夕日が射す瞬間に太陽の恩寵を強く実感する事が出来る。稜線を走るが如き夕焼に感動した晴れやかな気分は明日への希望にも繋がっている。
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「俳句スクエア集」平成29年 6月号鑑賞 Ⅲ
松本龍子
白鷺の八方睨みの孤独かな 服部一彦
一読、詩情を感じる。「八方睨み」とはあらゆる方向に目を向けること。確かに、川面に気品良く立つ白鷺は外敵に怯えてゆっくりとした動作をする。作者はその白鷺の所作に「孤独」を見ているのだ。
陸果つるまで菜の花の叫びかな 石母田星人
一読、一面の菜の花が見える。むせ返るようないのちの誇張。「叫び」という言い方のために見える陸すべてが菜の花であるような印象を受ける。まるで菜の花が意志をもって陸の果てまでのびているような捉え方である。作者の直感的な「感動」も見えてくる。
街に人海に海月の漂ひて 高井直美
一読、詩情を感じる。海に海月が漂うように街に人が漂っているという句意。「街に人」と「海月」という季語が取り合わされていて納得感がある。日常のふとした瞬間に垣間見える感情が季語に象徴されている。ストレスの多い都会に住む中で、本来動物が持つ本能のスイッチが切られていくことで作者は街にゆらゆらと漂い流されながらも、何とか生きていこうする「海月」なのだろう。
ぼうたんの羽衣はらり風を舞う 加藤直克
一読、詩情を感じる。牡丹の花が空を飛ぶ衣のように風に舞っているという句意。中七の「羽衣はらり」は動詞による擬人化で、見立てによる機知性よりはリアルな写生句に感じる。対象の「ぼうたん」の本質が見えてくるのは見事だ。
田水張る高天原のけむりかな 五島高資
一読、詩情を感じる。代掻きの終わった田に天上の世界のけむりが流れているという句意。季語ともう一方のフレーズとの掛け合わせ。このフレーズに「高天原のけむり」という何とも意外性の発見があるために、妙な納得感がある。虚像(高天原)と実像(日常の田水)の融合、時間と空間の対比が巧みに表現されて見事だ。
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Copyright (C) Takatoshi Gotoh 1998.3.1