「俳句スクエア集」平成29年 5月号鑑賞 I

                   

                       朝吹英和



 明日あるを疑はず蛇穴を出る          石母田星人


 冬眠から目覚めた蛇が巣穴を出る。極く自然な生き物の生態と、上五中七の強い意思の力との不思議なコラボレーション。繰り返して読んでいる内に、蛇には蛇の思いがあるのではと思うようになった。

 


 海鳴りの音吸つてゐる紋白蝶          松本龍子


 遠くから幽かに聞こえて来た通奏低音の如き海鳴りは、恰も眼前の紋白蝶が吸い取っているようだとの句意である。止まっている蝶が翅を開いたり閉じたりしている様からの連想であろうか、壮大な自然の律動と小さな蝶の生命感との対比が効果的である。

 


 何処までも歩けそうなり春の雲         石田桃江


 長閑な春を象徴するかのような柔らかさに溢れた春の雲の下では、何時もより元気が出るような気分になる。そこには春が到来した喜びも感じ取れる。



 槌音の木霊や霞む室根山            五島高資


 室根山(むろねさん)とは岩手県一関市に所在する北上高地の独立峰である。標高は895mの低山であるが、山頂からのパノラミックな展望で知られ、太平洋までも望めるという。遠くに霞む室根山と、近くに響いた硬質な槌音との融合が美しい。見知らぬ場所への思いを寄せる事が出来るのも俳句の楽しみの一つであろう。




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  「俳句スクエア集」平成29年 5月号鑑賞 Ⅱ


                                              石母田星人



 春星をもとめて耳をすましけり       干野風来子


 歳時記には「春の星空は、朧で水気を帯びて全体が潤んだ感じ」と書かれています。しかし春の星空の表情はそれだけではありません。遅霜に見舞われるときのよく晴れた星空には、すみきって洗われたような美しさがあります。そんな夜の星は冬星よりも鋭く輝く場合があります。星々はまるで空に散らばった鈴のように思えるのです。この句の耳をすまして感受しようとする思いには、こんな背景があるのかも知れません。

  

 

 暗号を解読したる鯥五郎          朝吹英和


 鯥五郎の風貌に、暗号を解読した者の「へへっどんなもんだい」や、「してやったり」とかの表情が見えたのだろう。鯥五郎の顔を見ると、なるほどそんな表情をしていなくもない。分かりそうな気もする。このような「感覚」を賞味すべき一句から、あれこれ意味を探ることはそれこそ意味がない。広大な干潟に生きる一匹のクローズアップ。その表情を楽しもう。

 

 

 

 紋白蝶さかしまの影ゆれてをり       松本龍子


 「さかしまの影ゆれてをり」は巧みな把握だ。「さかしま」は、葉の裏にぶら下がる状態はでなない。これは舞の描写だ。蝶の舞は、急に落ちたり止まったりと複雑。その複雑をひもとくと風に掴まって動いていることが分かる。この呼吸が分かるとさかしまになってゆれ落ちる影が見えてくる。



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  「俳句スクエア集」平成29年 5月号鑑賞 Ⅲ


                          松本龍子



 青銅の襞やはらかき朝寝かな        石母田星人


 一読、詩情を感じる。この句は春の寝過ごしてしまう寝心地と青銅の襞がやわらかく見えた瞬間の同化が眼目である。おそらくカーテン越しに朝の光が青銅の仏像か花器にあたっているのだろう。影で逆光になった青銅の襞の部分は凹凸が消されてうすく、やわらかく見えたという作者の「感動と発見」がある。


 

 風光るたまたま人に生まれ来て       大津留直


 一読、祈りを感じる句。春の日の光がうらうらと光るように感じる瞬間にたまたま人に生まれてしまったことに感謝したいという句意だろうか。138億年もの昔に誕生した宇宙に比べれば人間の一生はほんの一瞬である。その一瞬の中の「風光る一瞬」も、自然のからくりも心の動きもすべて宇宙の根源的性質を反映している。つまり、植物も動物も人も宇宙の「ひとかけら」の証なのだ。偶然、人に生まれただけなのだという感慨と「今この一瞬」に感謝して宙を見上げる作者がいる。


 

 葉桜の闇に沈める伽藍かな         加藤直克


 一読、静謐な時間が流れている。葉桜の暗闇に沈んでいく寺院であるという句意。この視点は

ホテルの一室から、それとも伽藍の中の違う高台の寺院から見える情景なのかもしれない。何気ない表現だが夕空の暗闇に伽藍が沈んでゆくのではなく、葉桜の暗闇の伽藍が沈むと見ているところが眼目だろう。私にはこの「空間」と「時間」から「阿弥陀」がほんのりと見えてくるのだが。


 

 げんげ田に佇ちて身ぬちの透くるかな    松尾紘子


 一読、「発想の意外性」を感じる句。田畑に自生したげんげに立つと身体の内が透明になったという句意。子供の頃、日が暮れるまでげんげ田に寝転がって雲雀の声を聴いたり、かくれんぼをしたり、三角ベースという野球をやった。げんげ田に立つとげんげに溶けこんでまるで分身のようになり、風を感じてくるのだ。


 

 爪先を回してゐたり春の闇         五島高資


 一読、気になる句である。足の指の先を回している、月のない春のおぼろに暗い夜であることよという句意。実景として解釈すれば、ヨガ教室のようなところで手の指を挟んで爪先を回している夜の風景が見えてくる。ところがこの足指が自分の指ではなく他人の足指だと解釈すると句の世界が俄然違って見えてくる。この「重層の曖昧さ」はなかなか興味深い。



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