「俳句スクエア集」平成29年 4月号鑑賞 I
朝吹英和
魂ひとつ昇ればうるむ春の星 服部一彦
誕生と死。壮大な生物の循環律の中で明滅する春の星。柔らかな暖気に包まれた春の星の潤んだ姿と昇天した魂が呼応している。
沈丁や速度を落とす車椅子 大津留直
沈丁花の香りに気がついて車椅子をゆっくり押す人の優しい心遣いがしのばれる。穏やかで静まり返った時空が目に浮かぶ。
いつせいに駆けおりてくる春の水 石母田星人
雪解けで勢いを増して流れる春の川が想起される。万物が活気付く春を象徴するものとして「水」にフォーカスし、擬人化した上五中七の措辞が効果的である。
紙雛のような夫婦となりにけり 毬月
江戸時代初期に遡るとされる紙雛のルーツは形代であったと言う。黙っていても気持の通い合った老夫婦の円満な日常が想起される一句。
朝へ出る道のうねりや竹の秋 五島高資
地下の筍の成長を促進するため養分を供給する事によって、春先の竹の葉は黄色みを帯びて来る。
「朝へ出る」の打ち出しは新しい世界に通じる道の象徴でもあり、「うねり」の表現によって春の息吹が感じ取れる。
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「俳句スクエア集」平成29年 4月号鑑賞 Ⅱ
石母田星人
朝へ出る道のうねりや竹の秋 五島高資
つくづく俳句は難しい。しかし難しさを克服することは楽しい。そこに張り合いを感じるからやめられない。じたばたしながらもこの頃やっと分かったことがある。言葉はそこに置くものではなく適切に並べることで意味を持ち余情を生むということだ。当たり前のことだが、その大切さがぼんやりとしか見えていなかった。この作品はその手本のような句だ。全ての言葉の奥深さや優しさが慎重に掘り下げられて、適切に過不足なく配置されている。全体を下五の「竹の秋」に語らせる構成で、空間を視覚的に捉えている。
春愁を閉ぢ込めてゐるチョコボール 今井みさを
春愁もチョコボールも別に珍しいものでも目新しいものでもない。春だからこそ感じる愁いは誰にでもあるだろうし、チョコボールはどこのスーパーでも売っている。その辺に転がっているものでありながら、春愁とチョコボールの取り合わせは見たことがない。今まで誰も言語表現では成し得なかった組み合わせだと思う。また、ふたつをつなぐ「閉ぢ込めてゐる」の中七が効果的で面白い。
神名備の眠りをさます土筆かな 干野風来子
神名備は常世と現世の境界。そこにびっしりと生えた杉菜の胞子茎。少し伸びたものは埃のような胞子をたくさん撒き散らして、何か言おうとしている。地霊信仰に包まれた俳句空間。春の陽射しがまぶしい。
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「俳句スクエア集」平成29年 4月号鑑賞 Ⅲ
松本龍子
魂ひとつ昇ればうるむ春の星 服部一彦
一読、詩情を感じる。魂がひとつ昇ると潤んで見える春の夜空に、柔らかくまたたいている星であるという句意。肉親か友人の一人が亡くなって、夜空を見上げながら改めてその「存在価値」を再認識しているだろうか。夜空を鏡面にして星から泪が流れているように見えてくる。
海鳴の及ばぬ高さ鳥帰る 石母田星人
一読、詩情を感じる。海から聞こえてくる轟音の届かない高さを渡り鳥が北方に帰ってゆくという句意。映像的には肉眼で雁なのか白鳥なのか、判別できないほどの高さを飛んでいる「渡り鳥」が見えてくる。天空に打ちこんだ「句読点」のような感じだ。眠らず飛び続ける「渡り鳥」を突き動かすのは古代の「記憶」なのか、それとも遺伝子を残すための「冒険」なのだろうか。
大陸を渡る祖先や花粉症 菊池宇鷹
一読、意外性のある句。 今年も花粉が飛ぶ季節がやってきて、祖先たちが大陸を渡り歩く姿を想像したという句意だろうか。「渡り」は鳥だけではなく、バッタ、蝶、水牛そして人間も行う。それは「渡る」ことで大量のエネルギーを消費して、その分豊かな食餌と繁殖力を得る。古代の祖先たちもいろんな食物を知ることで生き延びようとした。杉花粉もまた同じように考えて飛んでいるのかもしれない。
ひな飾る母の瞳に近づきし 毬月
一読、「母性」を感じる。子供の頃、雛を飾る母の瞳に自分もなってきたという句意。平明な句だが、自然に母と同じようなひな飾りをする自身の「こころの動き」に驚いている様子が分かる。中七の「母の瞳に」は母への感謝が象徴化して表現されている。
歩む背に残雪の嶺黙しけり 於保淳子
一読、詩情を感じる。歩いている背景に山の残雪の頂が押し黙るように存在しているという句意。歩む人と背景の山の構図は大胆で、作者の「感動のまなざし」が見えてくる。一本の長い道を歩いている姿はチャップリンの後ろ姿を思い出すが、実際の映像は逆でゆっくりと歩いてくる老人と背景にある残雪の頂の「空間性」が巧みに表現されている。
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Copyright (C) Takatoshi Gotoh 1998.3.1