「俳句スクエア集」平成29年 2月号鑑賞 I

                   

                       松本龍子



 ハバネラに絡め取られし冬の蜂       朝吹英和


 『ハバネラ』は、ジョルジュ・ビゼーによるオペラ『カルメン』の中で歌われるアリア。「冬の蜂」は冬季、蜂は体力温存のため巣の中で仮死状態になって眠っているが、暖かな日には眠りから覚めて、夢うつつで徘徊したりする。動かないことが多く、飛んでもその姿は弱々しい。恋する人たちの心は「砂の楼閣」という非現実的な夢に充たされているが『ハバネラ』の中での「恋」の高揚感と「冬の蜂」の夢うつつで徘徊する様子がうまく同化されている。マリア・カラスの「気をつけなよ」の絡みつくような声が聴こえてくるようではないか。

 


 遠浅に翼をたたむ冬銀河          石母田星人


 一読、詩情を感じる。海の岸から遠方まで浅い海面に翼をたたんでいる、冬の冴え渡った空の銀河であるという句意。天上の「冬銀河」と遠浅の海面に映りこんだ「冬銀河」の対比的な構図は非常にスケール感がある。その上で作者の「翼をたたむ」というふうに見た「心の動き」が伝わってくる。

 


 凍蝶の地下水脈の匂かな          石母田星人


 一読、詩情を感じる。「凍蝶」とは、寒さで氷りついたように動かない蝶のこと。「地下水脈」とは、帯水層と呼ばれる地層に水が満たされている水脈を指している。標本のように身じろぎもしない「翅模様」と「地下水脈」の類比を凝視している作者。単なるアナロジーに終わらず、凍蝶に同化することで海(死)に向かって流れる「地下水脈の匂」を嗅いでいると創造したのは見事だ。



 ヘルダーリン呼べるアジアや実千両     大津留直


 一読、難解な取り合わせの句である。この句を解体してみると、ひとつながりのフレーズの上五「ヘルダーリン」中七「呼べるアジアや」を「や」で切り、下五に季語「実千両」を置いている。まず季語の「実千両」はセンリョウ科の常緑小低木。冬に赤い果実が美しいので正月の縁起物。「ヘルダーリン」は、小説『ヒュペーリオン』や賛歌、頌歌を含む詩を執筆したが三十代で統合失調症を患い、その後人生の半分を塔の中で過ごしたドイツの詩人、思想家。「呼べるアジアや」は「アジア」という言葉は古代ギリシア、古代ローマから見て、「東方」を指す言葉。後年、ヘルダーリンはシュトットガルトに出向くと、そこから漂泊の旅に出る。その最初の行く先が、スイスの寂しいハウプトヴィルという寒 村。そこで、彷徨の面影「永遠の山脈」というものに出会う。最期に近ずくにつれてギリシアの悲劇を訳しつづけ、その注釈に没頭して「生成のなかに向かって消滅していく」ヘルダーリン。意味としてはヘルダーリンを呼ぶ東方の「永遠の山脈」はアナロジー(類比)によって「実千両」に通じ合うということだろうか。離れた取り合わせはそれだけ読者に強い想像力を求めるとつくづく感じる。



 金星へ抜ける道あり鬼火焚         五島高資


 一読、意外な発見のある句。金星へ抜ける道が見えてくる正月に行う火祭りであるという句意。民俗学的な見地から、門松や注連飾りによって出迎えた歳神をそれらを焼くことによって炎と共に見送る意味がある。鬼火焚を見ていると暗闇から青竹が爆ぜる音と共に炎がまるで龍のように立ち上がり、いくつもの「道」を造ってゆく。その「道」が「金星に通じる道」だと作者は発見しているのだ。この壮大な誇張には妙な説得感がある。




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  「俳句スクエア集」平成29年 2月号鑑賞 Ⅱ


                                              石母田星人



 冬凪いで星夜の底となりにけり       五島高資


 吹き荒ぶ風が一時的に治まり穏やかになった。星が驚くほど近く見えている。中七下五は大海や大地を意識しているのではない。「底」と書くことで、かえって空を引き寄せた。視線は上にある。星の運行に祈り天を崇めている。南天には一際目立つシリウス。古代大神として崇め畏れられた狼の眼光が、鋭い光を放っている。金星、火星、木星の惑星たちも元気だ。星野を見せるだけの構図だが、ゆっくり心を浸すと神話時代の國造りのイメージも湧きあがってくる。稀に見るおおらかな句だ。

 

 

 ちらほらと舞ふ粉雪やただ嬉し       十河智


 サラサラの粉末状で乾燥した粉雪。特別に寒い日に降る雪だ。「嬉し」から推察するとスキーかスノボに興じているのかも知れない。しかしこの「嬉し」には「ただ」がついている。この副詞が深い。軽く読み流すとパウダースノー上のスピードの世界になり、よく噛み締めると、粉雪と作者との精神世界の懸け橋となる。

 

 

 面会に来ぬ部屋もあり聖夜かな       菊池宇鷹


 「面会に来ぬ部屋もあり」から、入院中だと思われる作者のもとには、家族や知人が来たことが分かります。「クリスマスだというのに寂しい人もいる」と周りの方を気に掛ける作者。その気持ちの余裕は元気な証拠です。私もこの鑑賞を病室で書いています。頑張りましょう。





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  「俳句スクエア集」平成29年 2月号鑑賞 Ⅲ


                          朝吹英和




 風花と歩むや鳥の貌をして         石母田星人

 

 風花の中を歩く時、恰も自然と一体化した気分になる。モーツァルトのオペラ「魔笛」に登場する鳥刺しパパゲーノ。鳥を捕まえては夜の女王に献上する陽気な男の得意気な貌が目に浮かんだ。メルヘンチックな気分の横溢した句である。


 

 波音を隠しつづける梅日和         松本龍子

 

 梅の香が馥郁と漂う穏やかな春の景。打ち寄せる波音すらも何時しか消え去ってしまう程の安らぎに満ちた至福の時である。



  雪晴の水晶となる大気かな         加藤直克

 

 雪晴れの引き締まった空気の中で太陽の光が眩しく反射している。硬質な抒情の煌めきが美しい。



 金星へ抜ける道あり鬼火焚         五島高資


 「鬼火焚」とは九州地方で正月七日に行われる「どんど焼き」の事と聞く。燃え上がる歳神の送り火の先に遥か金星に通じる道を発見したという詩情溢れるロマンに得心した。




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