「俳句スクエア集」平成29年 1月号鑑賞 I

                   

                       朝吹英和



 冷たきや幾百万個光りても         十河智


 LED電球によるイルミネーションがテーマパークを始め、繁華街や観光地で多く見られるようになった。大規模なものでは500万個とか600万個もの電球を使用するという。累積する高輝度の光源が怜悧な光を放つイルミネーションに対する批判的な眼も潜んでいるのであろうか。

 


 凍蝶のすぎゆく影の匂ひかな        松本龍子


 寒さで動きの鈍った蝶が眼前を過ぎ去ってゆく、その幽かな影に匂いを感じ取ったとする繊細な感性。健気に生きようとしている冬蝶の生命力へのオマージュである。

 


 黄金のゆず浮かぶ児の長湯かな       石田桃江


 何時もは我慢出来ずに早々と風呂から上がってしまう子供。今宵は柚子湯の中で遊んでいるのであろうか、無病息災を祈り子供を慈しむ母親の愛情が伝わってくる。柚子を「黄金の」と強調した所から瑞々しく香り豊かな柚子の存在が感知される。



 窓拭きてなだれ込みたる冬陽かな      加藤直克


 朝の冷え込みで結露した窓ガラスを拭いた途端に射し込んで来た冬陽の眩しさ、太陽の恩恵を身に沁みて味わう瞬間の喜びが「なだれ込みたる」の措辞によって強調される。



 夕闇の満ち来る銀杏落葉かな        五島高資


 暮れ方の早い秋の夕方。加速度的に夕闇の濃度が増幅される中、あたり一面に敷き詰められた銀杏落葉の存在。夜の帳を降ろす自然の力と死の影を帯びた銀杏落葉の相乗効果が印象的で、秋の夕闇の奥深さが実感される。




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  「俳句スクエア集」平成29年 1月号鑑賞 Ⅱ


                                              松本龍子



 不機嫌な少女の眉間水涸るる        朝吹英和


 一読、意外性がある掛け合わせだ。不機嫌な少女の眉間はまるで河川や湖沼が涸れるようだという句意。「水涸るる」という言葉の展開するイメージは、湖面の泥が干からびて割れているのが現実だろう。ヨガや瞑想では意識的に眉間を膨らませるように意識するが、機嫌が良くない少女の眉間は不機嫌な時間と共に、作者には筋肉が割れて見えたということなのだろう。「少女」という瑞々しい命が効いている。

 

 

 梟の森の秩序の中に入る          石母田星人


 一読、夜の重さを感じる。夜行性の梟の森の中に入ろうとしているという句意。梟の声がするたびに川の水音、翅を揺する音が聴こえ、天空の星が輝いている。「森の秩序」は都会の雑踏の中では感じられない、「森の聖域」に入り込む一瞬の作者の「実感」の言葉なのだろう。

 

 

 水の音変はる村より冬深む         今井みさを


 一読、雪に覆われた村が見えてくる。水の音が変わる村から冬が深くなるという句意。単なる旅行客としてではなく、作者は静かな山間に居を構えているのかもしれない。上五の「水の音」が水の流れとともに「時間」を取り込んで、「冬深む」という季語を巧く生かしている。



 清や清星にならんと漱石忌         大津留直


 一読、不思議な句である。「清」は高濱虚子の本名。虚子星(巨星)にならんと決意した十二月九日、小説家漱石の忌日であるという句意だろうか。おそらく意味内容を問う句ではないのだろう。レトリックよりアイディアを重視した俳人「漱石」と気転がきいて言葉のかたまりを掴む俳人「虚子」。どちらかというと「言葉のリズム」の中に命が満ちて不思議な力になっている。作者の「意図」を超えたところで評価される言葉の不思議。「季語」をどう使うかを試した句といえる。



 やわらかき色になりたる冬菜畑       石田桃江


 一読、詩情を感じる。「冬菜畑」は9月ごろ種を蒔き冬に収穫する菜類の総称。白菜・小松菜・水菜・唐菜・野沢菜などいずれも耐寒性が強い。あたりが枯れ進むなかで霜除もなく青々と生い育っている「冬菜」の緑は、ひときわ目を引くがその色が柔らかく見えたと作者は捉えている。菜園を楽しむ中で、日常の場面の小さな「感動」と「時間」を上手く取り込んでいる。




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  「俳句スクエア集」平成29年 1月号鑑賞 Ⅲ


                          石母田星人




 やわらかき色になりたる冬菜畑        石田桃江

 

 俳句は本当に不思議だ。一見何でもない事象が、さらりとした叙法で17音に納まると、突然輝き始める。四季を通して畑を見ているからこそ生まれた「やわらかき色になりたる」の措辞。どんなふうに変わったのか全く分からない。でも説得力がある。ここには実像を超えたリアリティーがある。


 

 囚人のごと縛られて冬木立           十河智

 

 年末のイルミネーション。人間にとっては結構な仕掛けだ。だが、冬木立にとっては電飾を括りつけられたり吊られたりと大変な負担。電球からLEDに変わったことで、昔に比べたら少しは軽くなったようだ。それでも春に向けて力を蓄える時期に、電気コードで縛られる「拷問」を受けたら生長に影響が出る。あんな愚行をいつまで続けるのだろう。この句のように主張のある作品も必要だ。



  坂を下り坂に出でたる漱石忌          五島高資

 

 坂を下りきったらまた坂が現れた。それだけのこと。とても簡単そうだが中七が深い。この「坂に出でたる」には小さな混乱が見える。道に迷ったわけではないのだが「あれ、こんな風景だっけ。何かが違うが分からない」という思い。誰もが何度か経験している当惑だ。この感覚には何故かノスタルジアをおぼえる。あの漱石も異郷にいてこんな思いに身を浸したのだろうか。即物で描いた心理を文人の内面へとつないだ。




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